遂に我慢できなくて、娘に胃酸過多症の薬を買ってきてもらった。一発で収まった。ガイジンにも効いた。ちなみに製薬会社はグラクソ・スミス・クライン。最近、乳がんの薬を出して、日本の乳がん患者にも知られるようになる世界的に有名な会社。酸を抑えれば胃は鎮まる。この21世紀に我慢は美談ではない。でも毎夕痛くなるので、6個入りの小箱、昨日で終わってしまった。日本に帰れば一瞬で治る私の胃痛。2匹の猫が待っている。

 孫と朝食を食べている娘を見ていて、私は30年前、この娘の年で乳がんになったんだわ、と回想。港区広尾の高級マンションのキッチンカウンターで朝ごはんを食べていた当時の私と子供たち、息子は、先月5歳になったばかりの孫とも同じ年だった。今、目の前にいる娘が、もし乳がんとか言われたら、と想像してみるが「私もよくやったな」と自分のことを感心して終わり。あのとき、誰のためでもなく自分のためにだけ生きることに決めた、あの決意も思い出す。そして、あけぼの会を始めて、そのため一筋に生きてきた私。

 がんになどなっても少しも慌てず騒がず、何もなかったかのように生きている人がいるのを知っている。泰然自若。でも、がんの襲来で自分の人生を見直さなければ、がんという神の試練は無駄ではないのか。でも正直、私のほうが力み過ぎたか、とちょっと恥ずかしい。がんを機に、信念のための人生、使命まっとうの人生、社会的意義のある活動に身を捧げる人生、を生きるのだなんて力んだ。本当のところ、家族なんか面倒くさかったからあと回しにしたのではないか。これを自問するとき、いつも体がきしんで悲しくなる。

 がんもいいのだ、なっても治ってくれるのならば。気の毒なのは、再発して苦しい治療をつぎつぎ受けて、それでも完治を保証してもらえない人たち。抗がん剤の苦痛は体験した人にしかわからない。肉体的精神的経済的、三つ巴の苦しみ。次回紹介するが、アメリカで術後治療を開始した浅海さんは副作用の吐き気止め薬で体がフラフラ、転倒したという。むちゃくちゃな話、それでも飲まなければ吐いて吐いての連続なのだという。がんをやっつけて寿命を延ばしてくれるのか、健康な残りの細胞も叩きのめしてしまいたいのか。 
      
 私たちはこの秋、こんな再発治療中の乳がん患者を無料招待、‘乳がんと闘う女性のためのマチネー・コンサート’を予定している。エスティローダーグループ社ほか各社にちょうだいした寄付金を全国の患者支援のためにパッと使う。なんと崇高な思いつき、これに辿り着くまで、寄付金の大半を蔵に仕舞って置いたあけぼの会こそエライ。全国の再発患者さん、さあ、今から上京プランを立ててください。あの「千の風になって」の人、来て歌ってくれないかしら、無理よね、でも必ず最高の‘癒しコンサート’にしますからね。

 あれこれこの国にケチをつけてしまったが、今日は朝から文句なしの晴天、平和な日曜日、あと三晩で飛行機の中。仕事が待っている日本、何から始めるか、私の留守中に富樫さんが主になって「2007年度会員名簿」を仕上げてくれたので、それに臨時ニュースを付けて発送する。次いで、秋の大会プログラムを確定する。コンサートの中身も交渉開始して決めてしまう。韓国の国際会議用プレゼンテーションの概略も6月頭に送らなければ。