遂にオニノワットサンも肩の痛みには勝てず、中国マッサージに行ってきた。4月の娘の誕生日に息子の思いつきでプレゼントした1回券で娘の腰痛が治ったという話を聞いて、飛びついたのだった。タイでは数回のマッサージ体験はあるが、中国版は始めて。まず受付、「1時間40ポンド、先に払って」と恐ろしく事務的。次いで、女の子のあとを付いて、地下の薄暗い個室に行くと、着ているものを脱ぐ。右肩右腕右背中が特に痛いのよ、と重点を置いてほしい箇所を直訴するが、順番にやるから(うるさい)と、耳を貸さない。

 マッサージそのものはタイより柔らかめで、私には合っていた。いい気持ち、これならいくらお金がかかっても毎日来たい、と揉んでもらっている最中は正直思った。が、中国人のあの無愛想さにはちょっと耐えられない。国民性なんだろうか。終わって店を去るときも誰一人、ありがとうでも、またのお越しをでもない、知らん顔でてんでに用事をしている。あたし、お客よと口まで出かかったが、残念、中国語ができない。北京オリンピック開幕が秒読みに入ったというのに、あれでニーハオはないだろう。肩痛は治らなかった。

 ナース・リズが来てくれた。夫の発病以来だから、彼女とは2年半の付き合い。とにかく我が家では彼女が心底好き。「ハウ・アー・ユー・アンドリュ?」と特有の明るい声で部屋に入ってくると途端、部屋の空気が軽やかになる。一瞬で変わるのがわかる。裏返して見れば、それほど澱んだ空気にいつもは浸かりきっていること。「家に病人が一人いるとね」と人が言うのを聞いたことがあるが、それは空気が不健康になることだったのだ。私は澱みを出たり入ったりだからよいが、子供たちがかわいそう。2年半べったりは長い。

 3ヶ月も私が留守にした間に二人は一度大喧嘩をしたらしい。声を荒げて日ごろの鬱憤を吐き出したに違いない。喧嘩の原因は聞かなかった。個人的憎悪からではなく、取るに足らない原因に端を発したものだろう。逃げ場のないこの絶対環境に対するやるせなさだったのではないか。以前なら、病人が、喧嘩はやめてくれと懇願したものだったが、今ではそんな力もなくなっている。だから、私はこの家の潤滑油のためにも以前のように定期的にここへ戻るべきで、3ヶ月もの長い間、二人だけに任せてはいけなかったのだ。

 ああ、しかし、私も体は一つ、おまけに四十肩、日本に帰れば会長さん、重責の身。これ以上どうすればいいのか。私と子供たちはこんな非生産的な生活に2年半もお金と体力と時間と自己犠牲とを賭けて、人生大番狂わせ。しかもこの先どれだけ続くのか、誰もわからなくなっている。あとあとになって、こんな日々は無意味だったのではないか、と回想するだろうか。無意味ではないだろう。人生長い道のり、常にとんとん拍子で生産的とは限らない。生産と非生産が織り混ざって、でよいのだ。と、自分に言い聞かせている。

 病人の唇の腫れをリズに見てもらうことになっていたが、娘が夜に抗生物質を飲ませてみたら、真っ赤だった口辺が正常の色になっていた。原因は雑菌、一難解決した。今、午後3時、裏庭にあの片目の猫が来て、ニャオー。まあ、あんた生きてたのね、と思わず叫んで、チキンあげるから待っててね、と再会を喜んでいる。微かだが確かな幸せ。