ナース・リズが病人のただれ唇と食事摂取量について再確認に来てくれた。入ってくるなり、胸に着けたバッジを見せる。まん丸ではなくちょっと横長、濃紺に白でAMN(だったか)の文字が入っていた。「見て、全英ALS協会から表彰されたのよ」という。聞けば、家の娘と息子が彼女をこの賞に強く推奨、二人の推奨で選ばれたのだという。まあ、なんと粋な発案、気が利く子供たち。「ハズバンドがね、普通は私の仕事に余り関心ないんだけど、これは喜んでくれたのよ」とうれしそう。リズは50歳、二人の男の子のお母さん。

 彼女の担当地域に目下12人ものALS患者がいるという。中に駄々をこね文句ばかり言っている難しい患者もいて、手を焼いているそうだ。それに較べて、この家の病人は偉い。苦情を言わないし、みなに好かれる。夫は見本患者なのだ。我慢強いのか、諦観か、人生放棄か。難しい患者はどんなヘルパーにも満足せず、次々と替えたがる。家族にも当たるので、家族も寄り付かなくなる。だから自分でもっと難しくしているのだ、という。思うに、私がこのややこしい病気になっていたら、駄々こね患者No.1になっていただろう。

 娘が明日からバンコックへ行って、自分名義のアパートをどうするか決めてくる。日本人のテナントに賃貸して1年、今の相場はどうなのか、一人で決めなければならないが、不動産会社の女性がいい人なので、彼女のアドバイスに従えばいいと言っている。いつかまたバンコックへ戻る時はまたその時、今は何でも中途半端にぶら下がっているものをなくしてほしい。車も故障して動かないまま、道端にとめてある。運動器具もまた使えるかなんて言いながら部屋の隅のスペースを占領させている。何でももう捨ててくれ。

 突然、京都の夜を思い出した。創立30周年関西大会には前日に京都入りした。支部長の山本さんと会場下見をしたあと、台湾の開懐協会からの朋友2人と夕食を共にするためだった。ところが、私の顔を見た途端、タカコサン、疲れているから来なくてもいい、自分たちで出来るから、という。余程、私の顔つきが悪かったのだろう。接待役抜きで、しかも地下鉄で、出かけていった。結果、一人残された私は何をどこで食べればよいか、ホテルの中のレストランはどこもがら空きでシーンとしている。高いだけでおいしくなさそう。

 ホテル近辺をうろうろ探すも、二条城のまん前とあって、食べ物屋が少ない。一軒、目をつけた店がおすし屋、歯が悪くなって以来、イカタコの類が食べられない。メニューをよく見たら、刺身てんぷらもある。そうだ、一人で盛大に前夜祭をやろう。なんたって明日の大一番のために元気をつけなければ。思い切って暖簾をくぐった。なんとお客はここも誰もいない。カウンターはやめて靴を脱いで上がって座った。人の良さそうな板前さんと白髪ご主人の二人が私を見ている。「てんぷらと刺身とご飯をください」それとビール?

 「大瓶しかないですが」それは一人で飲めません。ご主人が、2階に小瓶があっただろう、と取りに上がって持ってきた。板前さんが「それは・・・」と目配せしている。何でもいいんですよ、私はどうせ飲めないんですから。その小瓶はビールまがい、アルコールが0.5%、丁度いい。せっかく取ってきてくれたんですから、と今度は私が板前さんにウインクする。

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