ラストメッセージは私が名文を太目のマジックで手書きしたのだが、病人が自分の目で読むのはもう無理の段階にきている。目を開けないのだから。時に、名前を呼んで、起きなさい、とゆすったりしていたのだが、それは、残り少ないエネルギーの無駄使いをしている、と今日ナースに言われて、もう起こさないことに決めた。すると、この人はもう目を開けないで、眠ったまま息を止めるのだろうか。昨日から食事は常時イロウからゆっくり流れるシステムに変えた。下剤も使ったのだが、反応がないので、オムツを当てている。

 残り火のような微かな命を持ちこたえている。ALSでも最後まで人工呼吸器を着けることもなかった。それにしても寝通しだ。今日は水曜日、私が来て丁度1週間になるが、この間殆ど寝ている。手首から指先までむくんだように腫れたので、いよいよ胸水が溜まるような現象が起きているのか心配になった。ナース・リズが若いドクターを連れて往診に来てくれた。娘に任せているので、私は身の置き場がないが、時折あれ聞いて、なんて日本語で催促すると、マミーが自分で聞いて、と言うので、私も参加して幾つか質問した。

 小水を調べるとまた別の菌が入ったらしく、抗生物質の新しいのを処方してくれた。リズだけ残って、ジャパニーズティーを所望したので、そば茶を作ってパウンドケーキと出したら、いつもここで栄養補給をしている、と楽しそうに声を上げて笑う。重い空気を軽くしてくれる彼女の笑いは千金の値。話は究極の時の処置になった。肺にモイスト(湿気)が溜まると呼吸困難になるから、その苦痛を取り除く薬一式を置いていく。急報すればナースが駆けつけてその処置はしてくれる。このことは既に娘との間に了解が付いていた。

 息子に打ち明けるべきか、と聞く。最後になっても、事態を認めたがらないことをみなが知っている。「当然言うべきでしょ」と私が答えた。隠し事をしていたとわかったほうがショックでしょう、とも言った。彼だって、その時点では認める強さを持っている。ずっとお姉さんが主導してきた形だが、彼も等しく考えを主張して、迷いの時の決断は彼がした。何と言っても、病人に対するやさしさは誰も太刀打ちできない。先日も病人のベッド脇にマットレスを敷き、逆向きに寝転んで、対角線でじっと顔を見て微笑んでいたりした。

 デビッドさんが突然ドアの外にいて驚いた。遠い昔、日本で一緒だった人で、あの益子焼きを見せに来た人だ。「クリスマスだからどうしても君に会いたかった。君の友達はみな、君に愛を送っている、それを伝えに私が代表で来た、家族のみなさんにも応援していることを知ってほしくて来た」と、目を閉じたままの病人に向かって最敬礼の姿勢でスピーチをした。男はこうだから惚れ惚れする。帰り際に、私はつい、タイのスタイルで両手を合わせて拝んでしまった。去り行く車の中でも、立って見送る私にずっと頭を振っていた。

 英国人は「最後に一目会いたい」とか言わないので不思議に思っていた。これで、どこの国でも、どうしても会いたいと思えばこうして駆けつける人がいることがわかった。思えば今日はX’masイブ。知り合った1966年の今日、銀座の不二家で一番小さいケーキを買って私のアパートで二人で食べた記憶がよみがえった。不二家ってまだあるのだろうか。