暮の28日夕方、娘が病人の尿をリトマス紙みたいので調べて、グルコース〈血糖値〉が異常に高いことを発見、救助を要請すると、まずナースが駆けつけてきて、異常を確認して、ドクターに連絡してくれた。中年の穏やかなドクターはリビングルームで寝ている私も起こして、家族がこの状態で病人をどうしたいか、めいめいの意見を聞いた。彼は「このまま血糖値を放置すれば死にます」と宣告する。私は眠い頭で、いずれにしても死ななければならないのだから、動かしたりしないで(このまま死なせた)ほうがいいと言った。

 処置をしてほしいなら、入院させなければならない。娘は見たこともない真剣な顔で「入院させて欲しい」と嘆願している。外は零下。真冬の寒風に重病人を晒すなんて。ドクターは、私が反対なのを知って、若者をなだめるように、入院させれば、あれこれ無茶苦茶検査したりする、移動中に、あるいは検査中に何が起きるかわからない、それでもいいのか、と再確認。娘は、それでもいい、そこまですれば諦められるが、このままでは諦められない、と粘る。彼女の信念に負けて、「娘の考えを尊重したい」とドクターに告げた。

 ドクターは「よし、わかった」とすぐに救急車を手配、救急隊もなぜかすぐに来てくれて、付き添いは二人までなので、息子と娘が乗って、ピーポーピーポーと去っていった。なんという素早さ、しかし、救急部に着いてからが悲劇の始まり、救急医が到着して、診察をして、空いているベッドに寝かせるまで4時間もかかったという。血糖値が数日間に急上昇して、糖尿病になっていた。そして、それが原因で深刻な脱水症状が起きていたことも判明して、たちまち点滴の管だらけになった。こちらでは手の甲の静脈に針を入れる。

 思えば、小水の量が多かった。それを、沢山出たほうがいいのよ、なんて感心していた私はバカ。糖尿病なんて想像もしなかった。糖尿専門医はドクター・クー、中国人。現況をよくわかるように説明して「しかし、あなたのお父さんはかなりの重体、だからどんな手当てをしても、いつどうなるか」と荘厳な口調で子供たちに言う。子供たちも「わかっています」と答えた。それが、このクー先生の魔法で、なんと血糖値が一日で正常値まで下がったのだ。誰もが感嘆した。が、まだ脱水問題が残っているので、手放しで喜べない。

 29日、首の横に穴〈水分補給のため〉を開ける手術が失敗に終わった。家族は室外に出され、終わって入ると、首がポコンと腫れて、血が付いていた。その痛々しさに、息子は「ダディ、ごめんね」と泣きだした。暫くして、今度は肺のレントゲンを撮るからとまた外に出される。病人を動かさないと約束したのに結構動かした様子。やはり病院というところは検査検査をするところなのだ。そこへ、撮影が不完全だったので撮り直したい、とスタッフが戻って来た。「もうやめて」という私のきっぱり拒絶で取り直しはしなかった。

 明日大晦日、家に連れて帰ることになっている。もうすべてやった、最後は家においてやりたいというみんなの切なる願い。娘は、もうかわいそうで見ているのが辛い、と泣いている。闘いが終わりに近づいてきた。明日も零度の予想、移送がスムースにいくこと祈っている。さっき病院へ向かった娘に、息子の好物、チャーハンの差し入れを持たせた。