34 歳の時、しこりに気づく─トリプルネガティブ
・2020 年夏 左胸のしこりに気がつきました。34 才の時、上の子が1 年生、下の子が年中さんでした。何だろう?と思いましたが、他に気になることはなく、放ったらかしに。秋にそういえば…と近所のクリニックへ行ったところ、なるべく早めに大きい病院へと言われ、その日の内に、今もお世話になっている病院へ、予約を取ってもらい、生検などを受け、トリプルネガティブ乳がんとの診断を受けました。
・2020 年12 月 全摘手術。温存でも…と言われましたが全摘に迷いはありませんでした。手術前のセンチネルリンパ検査ではリンパ転移はなし、しこりのサイズは1 センチほど、それが雪だるまのようにくっついている感じ、ステージは1 ~ 2 といった所だろうとの説明でした。
肺のリンパに転移
・術後化学療法はTC(肝臓にアレルギーが出て2 回で終了)、それからFEC、ECを受けました。EC の副作用で嘔吐が酷く、水すら飲めなかったので、入院しながら治療を受けました。後半は点滴は始まってないのに赤い液を見るだけで嘔吐するようになり、本当に辛かったです。
・2021 年9 月 術後化学療法が全て終了、2 ヶ月に1 回の検査のみとなり経過観察となる。定期検査は受けていましたが、復職もして、髪の毛も生え、以前と変わらない暮らしをしていたので再発転移する可能性なんて微塵も考えていませんでした。
・2023 年2 月 定期検査で肺のリンパに転移を確認。一気にステージIV になり、前回とは違い、完治を目指す治療ではなく、延命のための治療だと説明を受けました。
・これからの治療が効かなければ1 年半程度で、2 ~ 3 年程生きられる人が多く、中に5 年以上存命している人もいることを主治医から説明がありました。
初めて事の重大さに気づく
・ここで初めて、事の重大さにハッとなり、不安や悲しみがズシンとのしかかって来ました。その日の夜、夫と話して2 人ともワンワン泣きました。また抗がん剤が始まる…けど髪の毛なんか要らない、子ども達となるべく長く過ごせられるのなら嘔吐だってなんだって耐えられると、夫と次の診察の時に主治医に話しました。
・2023 年3 月 キイトルーダ+パクリタキセルを開始、6 月肺リンパの影が消滅しましたがキイト+パクリは継続することに。
・同年8 月 胸骨近くのリンパに転移、アバスチン+パクリタキセルを開始するも、肺炎の疑いで中止する。12 月に初めてのPET を受けました。胸骨周辺リンパ、左胸膜に転移がまだあり12 月末から放射線治療開始。
左鎖骨リンパに、右脇下に転移、首の付け根にしこりが
・2024 年2 月 放射線治療全28 回終了、3 月にCT を撮り、何もなければ休薬も考えて良いかもと言われていましたが左鎖骨リンパに新たな転移がありました。放射線治療が副作用もなく、とても楽だったので、もう一度受けたいと思い、その準備をしていた4 月、来週から放射線治療開始という時に右脇下に新たなしこりを見つけて急遽、放射線治療をキャンセルし、全身治療の抗がん剤ビノレルビンを受けることに。
・同6 月 腫瘍マーカーCA15-3 が、512 から10.3 まで下がり、ビノレルビン継続。
〃8 月 首の左の付け根に新たなしこり…ビノレルビンは終わり次の抗がん剤に?
エンハーツも使えそう
・次々と出てくる新しい転移、数ヶ月で効果が無くなり切り替えになる抗がん剤に不安がピークに達し、ビノレルビンが始まる時に初めてセカンドオピニオンを受けてみたいと思うようになり、近所の方から【あけぼの岐阜】代表の橋渡さんを紹介して頂きました。
・そこで知り合った人たちや、セカンドオピニオンの先生のお話や、講演会での勉強から、エンハーツを受けたいと思い、HER2 の再検査をしてもらいUltralow という結果をもらい、エンハーツも使える薬の候補にあがりました。
子どもたちと過ごす時間が何よりかけがえのない時間
今は終わりのない治療に不意に込み上げて来る不安や、置いていくであろう子どもたち、夫のことを思うと、気分が落ち込むこともあります。
・ただ幸いにも、再発転移からの治療では副作用は殆どないのです(脱毛していましたがパクリタキセルの途中から生えて来ました)。来年元気か分からないから!そして仕事などで忙しくしていた時は早く自立して欲しいと思っていた子ども達と過ごすこの時間は、何よりもかけがえのない時間なのだと気付き、出来るだけ甘えさせてやりたいと思えるようになりました。(1986 年9 月生まれ・37 歳)