娘と孫がバンコックから無事戻ってきた。向こうで1年ぶりに再会した日本人の友人の一人が「お母さんのエッセイが終わってがっかりしている、いろいろ教えられることがあった」と言ったそう。娘は「今イギリスに戻っているから、また始めるんじゃないの」と答えたという。その通りでした。思いがけない人が世界のあちこちでこのページを覗いてくれているみたい。つまらん独り言ですが・・・なんて、謙遜して見せたりしますが、謙遜は私に似合わない。なかなか示唆含蓄に富んでいますよねえ。

 日本はゴールデンウィークの真っ最中、都心はひっそり、東京駅と成田空港は人の山、世田谷公園はつつじが満開だろう。イギリスのメイデイは5月1日ではなく、5月最初の日曜日なのだそう、今年は7日。メイデイのこと、子供のときから‘メーデー’という日本語で聞き覚えていたので、これが英語のMay Dayとは今の今まで気付かなかった。

 朝の紅茶に入れるミルクを買いにテスコ(コンビニ・夜11時まで開いている)へ立ち寄る。568cc(1パイント)入り、35ペニー。カードを出すと「ソーリーマダム、1ポンド以下はカウントされない」「あらそうよね、ごめん、知らなかったわ」「謝らなくてもいいのよ、マダム、今あなたは知ったのだから」と微笑んでいる。パキスタン系で占めているこの店のスタッフは揃ってフレンドリー。しかし、日本人の私がパキスタン人に物の捉え方を教えられるなんて、口惜しい。気が付きましたか、幼児教育からと思われる根本的な相違点。

 「始めて知ったことなのだから、なんも恥ずかしがることはない、謝ることもない、これから同じ誤りをしなければいい」そう、でも、私を含めた日本人は他人に対して、こういうやさしい理解の示し方をしているだろうか。「だって、そんなこと常識でしょ」と適当に片付けてしまって相手の感情など気にも留めない。教育の見直しが取りざたされているが、私に聞いてくれれば「根本にやさしさが欠けているのよ」(パキスタンを見習いなさい)と即答したい。日本は厳しさ、まじめ、正しい、みんなと同じ、人に勝つ・・こればかり。

 こっちに来る前の週末、佐渡に帰って母親孝行をしてきた。92になるのに一人で住んでいる。「他人の世話になって弱者の立場になりたくない」とのたまう可愛げのないばあさん。新潟に姉夫婦も弟夫婦もいるが、こんな強い弱者を引き取るのは真っ平ごめんでしょう。最後の最後まで、筋を通す生きかたをして、田舎の一軒家で孤独死していても、悔いはないでしょう。足が不自由で、何かにつかまるか、体を完全に二つに折り曲げて手をついて歩く。体を折るとパンツが下がってお尻が見え隠れする。昔はとてもおしゃれだった人。

 夫は子供のとき小児麻痺をわずらった。それが自分のALS発症に関係あるのではないか、と今頃言い出したが、そんな単純な因果関係なら、とっくに世界で発表されていたでしょうと相手にしない。原因不明なので、受容も納得もできない。不運、というだけでは科学的でない。一日中、何もしないで、スコティッシュ・ミュージックか、相変わらずのジョニーキャッシュ、DVDを交互に繰り返し見ては、ところどころで泣いている。声を上げて泣く。彼ができる数少ない意志表現だからいいことだと、みな見て見ない振りをしている。

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