「ワットさんのたくましさは母上譲りなのですね」 来た、後藤栖子さんからのメール。あれを‘たくましさ’と言ってくれるのはあなただけ、つまりは、我が強くて意地っ張りなだけ。それなら、母から100%譲り受けています、ハイ。 ですから、実家に帰っても二日が限界、なのですよ。想像できるでしょ、お互いの我慢が48時間で切れる。 でもね、この母がいなくなったら、この家にも帰らなくなると、さみしく天井を見てきましたね。 同じ村に久子さんという小学校の同級生がいて、いつもキンピラゴボウとかフキとか食べさせてくれる。
ついでですが、中学校の同級生も両津の町にいる。 早苗ちゃん、八重ちゃん、伊里さん、他みな私が帰ると必ず集まってくれて、喫茶店「再会」でコーヒーを飲みながら、昔の話を佐渡弁でするわけ。 2時間くらい。 やはり故郷の友は、故郷の山や海や空と同じで、何にも増して心の安らぎ、都会の疲れを癒してくれる。私の疲れは、都会の疲れ、なんて一言ではすまない重責疲れ、それを散髪屋さんが顔すりのあと熱々のタオルで顔をあっためてくれたようにしばしあっためてくれる。ありがたい故郷、恋しくて、泣けてくる。
佐渡汽船の船着場(近年は高いけどジェットホイルにしか乗らない、1時間。船だと2時間半)にいつも早苗ちゃんが車で迎えに出てくれて、3里先の馬首という村まで送ってくれる。途中、スーパーへ寄って、魚を買い込んで、夜ムシャムシャ食べる。佐渡の魚は文句なしにうまい。いか、鰯、鯖の塩焼き、すけそう鱈、やはり子供時代に食べたものの味が一番のご馳走だ。魚の他に海草いごで作ったいご練りや栃の実を入れてついた栃餅がある。いご練り(博多でも見たか)はトコロテンと同じ要領で作るが、醤油をかけておかずで食べる。
「フェマーラを止めたので息苦しさはなくなったけれど、朝の欝がひどい。麻薬に欝と恍惚の副作用があるというので、しかたないと思いつつ、この苦しささえなかったらどんなにいいだろう、病人が自殺するのはこういうときなのではないか、と思う。主治医に訴えても同情はしてくれるが、それ以上は望めない。精神科に行ってもまた薬だろうから、必死で起き上がるしかない日々。私は薬を次々と止めて、医者も薬局も儲からない患者ですが、薬は本当に高い。これ以上長生きしたら、あり金全部なくなって日干しになってしまう。ワットさん、もっともっとこの窮状を訴えてください」
そう、私も本職をまじめにやらなければ。鰯の塩焼きが食べたいなんて寝言を言っている場合じゃない。こっちにちゃんと宿題を持ってきています。みなさんから書いてもらった原稿をまとめて乳がん体験の単行本を作る予定で、その原稿整理をしています。本には、後藤さんがニュースレターに24回に亘って書いてくれた連載も掲載される。今の内に手持ちのコレクションから表紙の絵や章の扉絵を数枚選んでもらっておかなければ。
あけぼの会を通じて数多くの素晴らしい女性たちと知り合って親しい心の友になったが、後藤さんはその中でも傑出、絵を描き、父上から伝授された俳句を詠む。鋭さとやさしさを兼ね備えた山形おんな、若い頃は劇団にも所属していたというから、自分の中に表現したいものを無限に秘めている人。山形で生まれて山形で眠るつもり、東京は似合わない人。人間はどこに住むかではなく、どう生きて見せるか、を実証してくれた人。