朝方、めったに見ない夢を見た。パニックで息が止まりそうになって、目が開いて、夢だったとわかって、胸をなでおろした。エアポートに向かっていて、突然、飛行機の切符を家に置き忘れたことに気がついて、大慌てでタクシーで引き返そうとするのだが、タクシードライバーはにたにた笑って、地下鉄のほうが早い、という。取りに帰ろうとしている家は何故かロンドンの夫のアパート。大きな通りへ出て地下鉄乗り場を探すのだが見つからない。時間が迫っている。
夫と子供たちは出先から直接エアポートへ向かっている。連絡は取れない(私はいまだにケータイを持っていない)もう一度タクシーのいたところへ戻って、ドライバーに時間がかかってもいいから乗せて行ってと必死に頼んでいる。しかし、今度は、その駅の近くは今すごい洪水で近寄れないんだ、という。また、走って、地下鉄の駅を探すが見つからない。時間が更に迫っている。出発は何故か夜の7時。今からではもう間に合わない――ここで目が覚めた。こんな夢を見るなんて、やはり潜在的おもりが胸を締め付けているのか。夢は五臓六腑の疲れから、というから。
今、3週間ぶりの日本に帰っている。成田に降りるとき、キャプテンの報告で気温マイナス2度。えっ、そんなに寒いの。「オー・ノー」とガイジンさんが叫んでいる。出るときは夜の10時に30度あった。温度差32。でも、千歳空港に降りたとしたら、差はもっとあったのだから、すべて物事は考えよう。機内で、用意してあったタイツをはいて、ホカロン2枚腰に貼って、Tシャツの上にセーターを着て、私は準備OKよ。
みなさんが私のバンコックリポートを読んでくれているらしく、反響があちこちから寄せられている。ありがたいのだが、中に、自分の苦労話を打ち明けてくる人がいる。姑のおしめを200枚かえたとか、15歳の息子を交通事故でなくし、そのときは自分も死のうと真剣に考えたとか、寝たきりの父親を2年半面倒見たとか。この時とばかりにぶちまけている。あんなふうに恥じも外聞もなく、家庭内ストーリーを平気で公表している私になら何を言ってもいい、という気になるらしい。
会長さんも大変でしょうが、私だってもっと大変だったのですよと、そっと耳打ちしてくれても、私の大変さが減るわけではない。不幸の度合いを較べてみても始まらないのでございます。一側乳がんだった人に、私は両側同時乳がんだったのよ、私のほうがかわいそうなのよ、と言ってくれても、慰めにも励ましにもならない。一側の人は、それで既に100%の打撃なのだから。
不幸の度合いが上の人が感じる不思議な優越感。卑屈で卑怯で、いやらしいのだが、確かにある。あれってなんだろう。本来ならマイナスは数が大きいほど分が悪いはずなのに。
思えば、私もこの戦法を使って夫をなだめていた。大いに反省しなければ。あなたよりもっと気の毒な人のことを考えなさい、という「気の毒の比較」で脅すのはよそう。こんなお説教をされるなら、もう愚痴は言うまい、と心を閉ざしてしまうからだ。心を閉ざされたら、こちらの負け。
切符を忘れて飛行機に乗り遅れるというような悪夢から覚めて、中身を忘れないうちにすぐ書きとめてみたが、ふと考えると、目覚めとともに消える夢の話などどうでもよくて、「夫が突如のALS」という始まったばかりの現実こそがまさに悪夢。私は白昼も、その悪夢にうなされているのではございませんか。