1月22日、東京都内にも9センチの雪が積もった翌日の成田空港、午後4時半から9時半までの実況です。いつもまじめに出発2時間前にはチェックインを済ませる私が今回は大とちりの連続。まずユナイテッド航空(格安航空券)が第一ターミナルなのに、間違えて、第二でバスを降りてしまった。そこから第一へ移動するには、またバス。乗り場8番か18番という。なぜか空港内にはあふれんばかりの人、人、人。第二だから混んでるのよ、と都合よいように解釈して、8番乗り場に向かうと目の前でバスは急発進してしまう。次は8分後。諦めかけた瞬間、8がダメなら18があるではないの。走れ走れ。すると一台のバスが私を待っている。飛び乗った。

 第一ターミナル着。するとそこにはもっともっともっと人がいる。浅草三社祭を思い出す。前日にニューヨークへ発ったブリストルの玉岡さんが「飛行機が雪で遅れていつ出るかわからない、ワットさんも明日は気をつけたほうがいいよ」と電話をくれたのを思い出す。しかし、私は今その成田空港の中。まずクロネコヤマトを探して荷物を受け取らないと活動開始できない。ヤマトにも人が並んでいる。

 次にカウンターを探す。大小二つのスーツケースを引っ張って人ごみの中を行く。誰かがユナイテッドと言ったので、急いで私もそこに入ると、係員がスーツケースを点検したいという。どうぞ、でも早くやってよ。半分以上ひっくり返されたとき、突如、自分が正しいところにいないことに気づく。Cカウンターに行くべきなのによく見ないで、団体カウンターに入ってしまった。そして不当な荷物チェックを受けるなんて、私は海外旅行専門家ではなかったの。

 CへCへ、どいてよ、通してよと、よろけながら辿り着くと、な、なんと長蛇の列。どこがシッポかわからない。それでも観念して、列の終わりを見つけて並ぶ。1時間並んでもまだチェックインできない。出発時間があと20分に迫っている。ついに「私バンコックへ行きたいのですが知ってましたか」「えっ、そんな人、そんなとこで何をしてたのですか、早く早く」と並び疲れた私を急き立てる。「アナウンスないから、まじめに待っていたのですが」「アナウンスは45分前にしましたよ」「あら、聞こえなかったわ、私には」押し問答している場合ではないのに、私はどんな時も負けたくない。

 「搭乗口44番に走ってください」しかし、そこまでに関所が二つある。イミグレーションで「みなさんすみません、私の飛行機が私を置いて出てしまいそうなのです、先に通して」と叫びながら通り抜けると、次に赤外線検査。なぜかピーピーと鳴って、靴まで脱ぐ羽目に。「私の飛行機が出てしまうんです、行かせてください、私、怪しい者にみえますか」44、44へとひたすら突進。しかし44番は成田空港の最北端に位置するのか、先のまた先。外は真冬だというのに大汗かいて、辿り着く。

 すると今度は31番に変更したとのこと。今走り抜けてきたところに31番はあったのに、人生を逆走するなんて。すると、実はまだ飛行機が到着していないので、搭乗口変更の可能性ありとの予告アナウンス。私はここで絶望の果てに野垂れ死にする。でも飛行機が私一人を置いて飛び立ってしまうという悪夢は避けられた。拾う神あり。感極まって脱力してしまう。玉岡さんが時間通りに国外退去しなかったばかりに、私にしわ寄せが来ているのではありませんか。空港内を走りまくって心臓が止まるかと思った。こんな寸劇は、4日前に66歳になった私には無謀きわまるというもの。だから一人旅はもういやと言っていたでしょ。共に走る相手がいないと疲れは2倍に感じるのです。

 これでまだ劇は終わっていない。突然、搭乗口再度変更アナウンス。また44番だという。もと来た道を人々はいっせいに黙々と移動する。そして、待つこと2時間あまり。3時間遅れでようやく機上の人となりました。飛行機は飛ぶのでしょうか。はい、飛んだのです。結局のところ、夜中の2時過ぎにバンコック空港へ到着、そして、この家に着いたのが、3時半。日本時間で早朝5時半。池尻の自宅を出たのが、前日午後2時半だったから、ドアからドアで15時間かかったことになります。でも思うに、時間より何より、あの人の多さ、混雑とパニックで、私は疲労困憊してしまったのでした。