夕べ、夫が死んだ夢をまじめに見た。夢は潜在願望というから、私は内心、彼の死を願望しているのかもしれない。子供たちが「ダディ、ダディ」と体にすがって号泣している。私は白っとして、「やっと終わった、長かった、疲れた、これでよかったのよ、あなたたちは誠心誠意、やれることはやったんだから。ダディもこれ以上生きて悲惨を続けるのは屈辱でしかないんだから」とかなんとか、誰も聞いていないのにかまわず呟いている。不思議に涙は出てこない。私は悪妻なんだわ。愛犬シンチャンが死んだ時のほうが悲しかった。
イロウの穴が炎症して腐りかけていた治療のために、金曜日にドクターが見て、別の抗生物質を出してくれた。それまで1週間続けたのが、効かなかったと判断して、より強力なのをくれたのはよかったが、すぐに発熱、ベッドに寝かせてくれと言い出す。食欲もゼロ。また、オシッコを出すたびに、唸って足を思い切り突っ張り伸ばすので、昨日なんかはホイストで吊り上げるための袋のようなもので体を包んだと同時に、車椅子から床に完全にずり落ちてしまった。あれが包んでない状態で落ちていたら、お手上げだった。
オシッコするのが痛いのではなく、出にくくて出詰まり感があって、それが耐えられなくて怒っている、のではなかろうか。出している間中、グウッーという唸り声をあげる。辛そうで見ていられない。これもここ数日顕著になってきていて、ドクターにも再三訴えている。電話で報告を入れることになっているが、解決されてなければ泌尿器科で診てもらうという。ついでに入院でもさせてくれないか。尿が出にくくなり、物も食べなくなれば死期が迫った証拠、とすぐ殺してかかっているので、今朝方の夢につながったのだ。
両足を思い切り突っぱねるとその力は半端じゃない。発病以来3年間、体が思うように動かせなくなった腹立たしさを全身に込めて搾り出している感じだ。こんな動作でも唯一できて、何かの意思表示しているのだから、やればよい。唸り声も確かに元気な頃の彼の声なので、懐かしい。しかし硬直させた足は固くて重くてどんなにしても折り曲げられない。嵐が過ぎるのを待つように、本人が力を抜いてくれるのを待つ。これもALSの兆候の一つなのだろうか。筋萎縮性側索硬化症、という病名だから、硬化現象なのだろうか。
息子がこっちで知り合った日本人の男友達の母親が日本で乳がんなのに治療を受けていないという。自分で乳がんとわかっていて、病院に行っていない。「バカねえ」と嘆いてしまった。「お母さんに、すぐ、あけぼの会に連絡するか、君が会長に電話してみて、今、ロンドンにいるから」と息子は言ってあげたという。が、9割がた、だめだろう。こういう人は傾向として、誰にも相談しない。相談しても解決しないと決めてかかっているのだ。こんな人の命を救うために私はこの道30年、ひたすら身を粉にして働いてきたというのに。
我が家では子供たちが協議して、抗生物質を中止することにした。娘はニューヨークから指示を出す。たちまち食欲が復活して、食べ始めた。また生き返ってしまった。これだもの、私の人生の予定が立てられない。いざというときに着る黒のワンピースがハンガーにぶら下がったまま3年、すっかり忘れていた。もう、日本に持って帰ってしまおう。