12月15日夜9時半、娘から電話で、予定を早めて来られないか、との事。遡って1週間前、ナース・リズのアドバイスもあって、病人をホスピスに入れていた。これまで2回入院したホスピスで、知った顔もあったので、受け容れてもらった時はホッとした。前立腺かと心配したが、単なるばい菌だったみたいで、抗生物質で問題一つは解決していた。しかし、14日朝から一日通して激しくお腹を下した。母親を同じALSで亡くした娘の友人が、死ぬ前やはり激しい下痢をした話をしていたので、娘はすっかり動転してしまった。

 夜、ANAの予約センターは稼動していない。気だけ、はやるが朝の8時まで待つしかない。20日のチケットを変更できたらうまいのだが、案の定ダメで、一旦キャンセルして、買いなおし。何でもいいから安いのをください。滞在が3週間以内だとなんと14万〈往復〉台でOK.だと言う。キャンセル料3万払っても少しの追加で行ける。最後の一枚だけ残っていると向こうも急かす、ホントかね、ANAも不景気で脅しの手を使う。困ったときは助け合うか。決めた買った、で商談成立。あしたの今日なので、席の選り好みは出来ない。

 16日夜、宅急便でスーツケースを成田に送る。イギリスは喪服と言っても濡れカラスみたいなのは必要ないと聞いたので、グレーの縞模様入り黒ジャケットと黒ニットパンツを入れた。ワンピースはこの時期、寒すぎる。ジャケットはあとにも先にもコシノジュンコ、お葬式にブランド着てもしょうがないのだけど。17日朝7時半家を出てタクシーで渋谷駅。キティにジロー、また暫くお利巧していてね。猫のオジサン、頼みます。8時9分の成田エクスプレス。ANAカウンターでチェックイン、何とプレミアム席が一つ空いていて昇格。

 本当は19日金曜日にニュースレターの原稿を揃えて印刷屋に入れて、20日土曜日に発つつもりだった。仕事完了していない心残りがあったが、今となっては、それより死に目に会えなかったらどうしようという恐怖感が胸をよぎる。何事も運なのよ、天の定め、会える人は会える、会えない人は会えない、そう割り切ったら気が楽になった。しかし、向かい風12時間40分の飛行機は長く感じて、忘れかけていた右肩痛が始まった。長時間座ったままの姿勢がよくないのか。到着6時間前に朝食に起こさないでと頼んで眠りに入る。

 ヒースローには夫の親友のジャンセン夫妻が迎えに出てくれていた。初めてのことだが、今回は事情が事情なので、私を慰めるためにわざわざ夫婦で迎えてくれた。ありがたいことだ。こんなふうに私は友達に友情を差し出したことがあるだろうか。1時間かかって、ホスピスへ直行。病人はもう生きることをすっかり諦めた顔でベッドにいた。うっすらと目を開けるが、私を見ても微笑んでくれない。間に合った、安堵感で疲れがどっと出て、椅子に座るやこっくりこっくりと居眠りを始める。息子が荷物と一緒に家に運んでくれた。

 日本で焼いてきた塩鮭を食べるか、聞くと食べるという。ご飯がない。お米洗っている内にすっかり目が覚めた。息子が戻って交替で娘が帰ってきて、今度は好物の筋子ごはん。二人とも飢えていたかムシャムシャ食べて、力付けたら、明日はダディをホスピスから連れて帰ると言い出す。いいのかな、そんな怖いことして。しかし、私に発言権はない。

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