18日昼前、うつむいたまま車椅子にちょこんと座って、ヒーローが家に帰ってきた。ウェルカムホーム!よかったわね。息子が「ホスピスでやっていることは家でも出来るよ」と呟いた一言で決めたのだ、と娘が明かす。諦めかけていたのに、自宅へ戻してあげられてよかった。早速、きれいにしておいたベッドに寝かせる。イロウから水、痛み止め、栄養の素みたいなものを娘が手際よく入れていると「マミー、野菜スープはまだ?」と息子が叫ぶ。えっ、私の出番?大鍋を出して冷蔵庫の残り野菜全部駆り出して作業開始。

 病人はホスピスへ入った途端、元気をなくした。それと入院前から院内感染していたので、付き添いもテレビルームへも行かれず、逼塞間が増していた。顔見知りのナースも一人のフイリッピン人だけで、他の人には会えなかった。また、日本みたいに食事が通らないとすぐに栄養補給の注射をしてくれたりしない。家に連れ帰りたいと申し出たとき、無謀でしょ、と言ったらしいが、傍にいたナース・リズがすかさず「どうしてダメなの」と言ってくれたので、OKが出た。余程のアマチュアと見たか、3年のキャリアがあるのにね。

 打つ手はもうない、と宣告したホスピス医も、病人が息を吹き返したので驚いたそうだ。ミラクルはジャパニーズワイフでしょ。しかし、表情が死んでいる。生と死の境界線があるとすれば、もう向こう側に回ってしまった。日にちの問題だろう。でも明日ナース・リズが来るので、最後の秘薬はないか聞いてみよう。8日ぶりにみなが落ち着くところへ落ち着いた感で、たとえ、やがて来る嵐の前の静けさであったとしても、平和な家族の融和。子供たちは今までの疲れがどっと出て、昼のスープを夜も食べて11時に寝てしまった。

 言いたくないが私はまた午後4時に寝てしまい、夜10時に起きて、ラーメン食べて、これを書いている。何時に寝直せばいいのか。ただ、夕べまでホスピスで誰かが病人の部屋で寝ていたので、今夜からその役を私がすべく、マットレスを敷いてある。就寝中、何かあったらという役目だが、私は薬なしでは全く眠れないので、寝たらおしまい、役には立たない。病人が息をしているか、何度も確かめに行く。摩訶不思議なことに今頃になって曲がっていた手首もまっすぐに伸ばせるようになった。せめての神のご慈悲か。

 両の手を思い切り伸ばして広げて、大空を鷲のように舞いながら昇天すればよい。3年間動かなかった両の足で、すいすい雲間を泳いで、追い風に乗って(千の風?)、懐かしい日本の空まで飛んで行ってきてほしい。上空から、池尻大橋や渋谷が見えるといいのだが。通いなれた神田神保町の古本屋街にも別れを告げて来て。帰りにはパリのシャンゼリゼ?

 今回の渡英のために、来年1月29日で切れるパスポートを更新するか、迷った。帰国してからでも十分間に合うし、あとで申請すればその分、有効期限があとに延びて得。しかし、今から10年先、私は78。生きているか、わかったものではない。だからケチらないで、更新してしまおう、バンコック空港騒動なんかもあり得るし、英国滞在延長という事態になっても対応できる。迷った末、更新手続きをして、新しいパスポートを取得した。それ偶然15日の午前中、娘の電話を受けた日の朝だった。人は結局何かに動かされているのだ。

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