息子が盲腸手術を受けたのはUCLホスピタル(University College London Hospital)というマンモス病院で、木曜日に訪ねたクリニックから転送され、その場で緊急入院、金曜の朝一番の手術だった。ドクター陣の的確な判断で命拾いした。そして、土曜の午後にはキャロリンと迎えに行って退院した。退院といっても私物をまとめて、そのまま歩いて病院を出るとそれでおしまい、手続きも清算も何もない、完全にただなのだ。

 この国の医療制度は寛容そのもの、国保系の病院なら外国人でも旅行者でもただで受け入れている。これに対照するのが、プライベートホスピタルと呼ばれる有料病院で非常に高いが当然段違いな待遇が受けられる。実は夫も入院費は無料、ただし全患者ではないらしい。ここは一般からの寄付やイベントで集めた基金でまかなわれているというが、マリー・キューリー・ホスピスは全英に10施設もあるという。全施設の完全看護運営コストとスタッフ人件費をどう算出しているのだろう。

 思えば妙な偶然なのだが、ざっと40年前、1968年秋、私もこの国で盲腸手術をしている。あの時も痛い痛いの日々が1週間あまり続いて遂に耐えられなくなって救急入口から強引に入院、翌朝8時に手術、一日遅かったら破裂だったといわれた。私は日ごろから熱が出ない体質なので、発熱がないのと痛みが右腹に集中していなかったので、盲腸と断定できず、ほかに原因が考えられないので、という理由でようやく手術に踏み切った。私も命拾いをしたのだったが、あの時もお金を払わなかった。

 親子で英国民の税金に命を助けられて、申し訳ない気持ちでいる。同時に、こんな寛容さでも国家財政を破綻させないこの国の強さはどこから来るのか。ひとえに重税なんだろう。諸物価も段違いに高く感じる。レストランも高い。先夜息子と入った中華料理屋でもスープとほか2品で約6000円。息子が別の中華からテイクアウトしたときも3000円。朝刊が1ポンド20、約240円、卵6個で200円。昔ながらの肉屋もあって見るからに高そうなのに、客がひっきりなしに出入りしている。この国には貧乏人はいないのかしら。

 夫は実にさまざまな職種の人や器具にサポートしてもらっている。今日(3月6日)は11時にスピーチセラピストが彼をたずねてきて指導してくれる予定。今までに理学療法士、ソーシャルワーカー、ケアマネージヤーなどさまざまの分野の専門家が病院や地域の役所から訪問してくれている。おまけに緊急電話が設置されていて、ボタンを押すと、向こうから、ハーイ、Mr.Watt,どうしましたか、と聞いてくれる。息子の入院前夜、熱が出ていて力がなかったので、病人をまた床に落としてしまったとき、ボタンを押して、救急隊にきてもらった。15分くらい待ったが、気持ちよく対応してくれて、涙が出そうになった。ありがたかった。病人が首からぶら下げる緊急コール・ペンダントももらってある。

 そして、夫がホスピスを退院するためには自宅の必要環境が完備されているか点検する専門家がいる。このマンションの部屋の入り口が基準より狭いので、その幅でも出入りできる車椅子を探してくれているのと、彼を動かす‘ホイスト’と呼ばれる人間クレーン車を用意してくれていて、条件がそろえば、退院の運びとなる。これがみなただ。

 娘にそれを言うと、でもダディが死ぬと財産の47%が税金で摂取されるのよ、という。死んでから、世話になったお金に熨しつけてお上に返上するシステムだったとは。

バナー広告

共同文化社

コム・クエスト

とどくすり