ヒースローに私の到着を出迎えてくれたキャロリンは私の仲良し。3歳年下だが、アクターズスクールの運営に成功しているビジネスウーマン。夫と彼女の夫が友達だった関係で、私たちも知り合った。1968年に初めてイギリスへきたとき以来だから、長い知己。5年前にリスボン会議(リーチtoリカバリー国際会議)に出席したときロンドン経由にして、彼女に会って食事をした。昨年2月にもアストラゼネカの招待でロンドン会議に来たのだが、都合がつかず会えなかった。あのときのロンドンの寒さは尋常ではなかった。ゼネカの白井さんが親切にエスコートしてくれて、ミュージカル‘オペラ座の怪人’を観劇、大いに感動した。今回いろいろお世話になっているので、お礼に彼女をこれに招待しよう。

 息子の盲腸がわかると、夫の弟の奥さん、フイリッパが緩和ケアナースに連絡を入れ、彼女はすぐに最初に診断を下された病院への入院を試みたが入れなかったので、代わりにキューリー夫人ホスピスに入れるよう手を打ってくれた。息子は手術した夜でヒーヒー言っているのに「入院はかわいそう、ベッドに縛り付けるんだから」と私をなじる。私だってわかっている。でも、どうしようもないんでしょ。二人のためらいなんか無視して、彼のホスピス入りは決まった。私が電話でウーとかアーとか生返事をすると、このままではあんたが病気になってしまう、そうなっては困るのよ、と英語でバシバシ言われる。

 夫の入院前夜、思い出すとぞっとする惨劇だった。その朝、特別に入れてくれた電気ベッドシステムでベッドの頭の部分が25度くらい上がっている。呼吸困難な病人用なのか。メタルフレームで固定されていて、下に下ろして平らにすることができない。夫はこの角度を忌み嫌い、これでは眠られない、と泣かんばかり。でもいったんベッドに横になった巨体は動かせないんだから、朝まで辛抱して頂戴と頼む。1分おきにうなっている。

 何とかしなければかわいそう。シングルベッドを二つくつけていたので、横にずらせさえすればフレームのない平らなベッドで休める。さて、どうやって横にずらすか。そのとき事務局で誰かがシーツを下に敷いて引っ張ってずらす話をしたのを思い出した。大きすぎるシーツを二つ折りにして何とか体の下を通して、半巻きにした状態で思い切り引っ張った。成功!なせばなる。ついで、フレームだが、おじさんが一人で設置していた、それなら私も一人で取り外せるだろう。ベッドをまくって、金属フレームを引きむしって取ってやった。軽いものではないのに、今もう一度やれといわれてもできない。

 寝ているうちに、どうしてもベッドの下のほうに体が行って足が出そうになるので、上に上がりたがる。自分では1ミリも動けない。うなって怒る。そこで考案したのが、ボクシングの砂袋。クッションの硬いのをベッドの足のほうに持ってきて、それをキックしながら上に上がる。私が砂袋の役。この発案と実践力に対し、何か賞をください。

 戦い済んで暗闇の中、かすかな寝息を立てて寝ている夫を見ていて、介護に疲れた身内が連れ合いを殺すシーンを想像していた。人間疲れ果てれば相手を殺して自分も死のう、の心理状態になるんだろう。しかし、私はまだ死にたくないので、相手も殺せないでいる。