国境なき介護団員、三度目の渡英後、明日で1週間になるが、相変わらずの時差頭痛に悩まされている。特に今回は日本に1ヶ月きっちりいたので、完全に日本時間に戻ってしまって、よって、こちらへ来てまた一からやりなおし。以前、海外出張を頻繁に繰り返していて、死んでしまったサラリーマンの奥さんが労災を申し立て、裁判で勝ち取ったニュースを思い出した。時差は夜ねむれないだけでなく、食事も突然とんでもない時間に摂ることになるので、胃腸だって完全に狂う。総じて、神経系統全域に無理を強いることに。

 さて、1ヶ月ぶりに見る病人に顕著な変化はないが、唯一残存している右手の力が衰えているのと立ち上がらせた時、まっすぐ数秒間だけなのに、じっと立っている足腰の力が衰えてきているのは明白。食事は全部ミキサーで粉砕したものを、それでも右手でスプーンを持って口に運んでいる。口の締まりも弱まっていて、以前にも増して、よだれを流しっぱなしで、タオルを日に10枚は換える。娘が大人のよだれ掛けがあるはずといっている。

 子供たち+メードのピペ介護チームは一ヶ月の私の留守中も、連日通しで、病人中心の生活をしていたわけだが、誰も根をあげる様子は見せず、水が流れるがごとく淡々と一日一日をやり過ごしている。思わず手を合わせて拝んでしまう。中でもピペはプロのヘルパー顔負けに何でもてきぱきとこなし、おかしなことに言葉を出せなくなった夫と一番コミュニケーションが取れていて、夫の指先一本の動きで瞬時に当てる。夫も彼女に全幅の信頼を寄せているのがわかって傍で見ていても微笑ましい。天からの授かり人であります。

 そのピペが6月24日、34歳の誕生日を迎えた。前日からカードにみなが言葉を寄書きして、私は夫からといって少しお金を封筒に入れて、娘とリラがネックレスを買ってきて、準備完了。当日、彼女の好みのタイレストランへ行くことに決めていたが、夫の移動やら考えると面倒になってきて、代わりにレストランからタイフードを思い切りテイクアウトすることにした。「ハッピーバースデー」は花束とプレゼント贈呈に始まって、ローソクつきのケーキこそなかったが、テーブルの上に5種類ものタイフードが並び、珍しくビールで乾杯したピペは泣いて喜ぶ。異国に来て早や丸3ヶ月の彼女にみなが惜しみなく謝意を献上。

 宙ぶらりんの私こそ居場所がないが、着くや全員のシーツをはがして大洗濯、そして得意のお料理に全霊を込め、おいしいおいしいと食べてもらって満足しようとしている。しかし、何を隠そう、私は常に社会的意義のある仕事をしていないと人生無為に感じてしまうので、こんな自己犠牲型家政婦業は性分に合わない。続けていると息が苦しくなる。夫が死ぬると昨年12月に判明して今ちょうど半年、このさき半年持つかどうか、なのに自己犠牲を惜しむなんて、どこまで自己愛の強い人間なんだろう。子供たちを見習いたまえ。

 でも私は今、息子の将来を本気で案じ始めている。娘はもとの職場に復帰できるが息子にはそれがない。未来ある青年が、延々と、父親の介護のみに時間を捧げていてよいものか、それも当初の余命期限を超えて、いつまで生き延びるのか予測不可になっている。死という絶対性に屈服して、息子の献身を正当化しようとしていたが、もはや自信がない。