1年通して暗くてじめじめ、で知られているイギリスのお天気に異変が起きて、うそでしょう、と言いたくなるような好天が続いている。赤、白、ピンク、黄ピンクの大輪のバラ、それも1本の茎に五つ六つもの花が身を寄せ、たわわに咲き誇って、拝みたくなるほど美しい。寒がり屋の私でも半袖TシャツでOK、陽光がまぶしく温かい。なのだが、ここロンドンの街中では洗濯物を窓から吊るすはご法度なので、この天然恩恵を有効活用できない。

 整然とした街並みに洗濯物ヒラヒラでは景観を損ねるのはわかる。でもそうすると、この国の人は誰もが高い電気代を払って乾燥機を使っているのだろうか。けちな私はこの国は何もかも日本に比べて高い高いと嘆いているが、その理由が突如わかった。私が反射的にポンドの値札を円に換算するからなのだ。マネー基準という言葉があるなら、ここでは1ポンド(約225円)で、1ポンドからスタート。片や日本では差し詰め100円だろうから、もともと貨幣感覚の出発点が違う。だから、成田で換金したポンドは使わず、もともとここにあった夫のポンドを使えばよいのだ・・・・という非数学的理屈はいかが?

 思えば遠い国になってしまったが、あのバンコックでは1バーツが約3円の計算だった。市内から空港までタクシーに乗っても200バーツ、約600円という安さ。メードにお小遣いでも500バーツも上げれば喜んでもらえたが、それだって、たったの1500円。だからあの国では大金持ちの気分だったのに、ここへ来てからは他の人はみな安定収入があって私だけが日銭で生きているような感覚。日本人の中老カップルが夫の退職後、タイ、フイリピン、マレーシアあたりへ移って長期滞在する人が増えていて常夏天国ライフをエンジョイしている番組をテレビで再々見て、羨ましいと思うが、あんな平穏は私には向かない。
 
 日本は今梅雨の真っ最中、とのメールをもらっている。シンチャンが生きていたときは梅雨の大雨の朝でも散歩に出た。シンチャンが恋しくてたまらない。いつの日か、生活が落ち着いたら犬をまた1匹飼おう。バカみたいにそればかり考えている。死んでからやっと中野孝次の名作「ハラスのいた日々」を買って読み、今度の機内映画では「南極物語・ハリウッド版」を見た。生存中は悲しい犬のドキュメント、特に、南極に100日以上も置いてきぼりにされる話など、かわいそう過ぎて見るも読むもできなかった。

 しかし、昨日、後藤栖子さんから「山形は猛暑」の便りが入った。ということは全国的に梅雨が明けたのか、日本も負けずと本格的な夏の始まり宣言が出たか。後藤さんは乳がんと26歳の時から延々闘って、近年はいつ急死しても驚かれない病状のまま生き延びて、それでもまだ絵を描き、教え、俳句を詠んで、まさに、死ぬまで現役、不死鳥栖子姉。つい先日亡くなられた日本の才媛、米原万里さんとは心がすーっと通じ合う仲だったので、彼女が自分より先に逝ってしまったあとの身をよじるほどの寂寥空洞を持て余している。

 終生病人だったような人が生きて、元気印のような人が先に死んでしまう、不文律。後から走ってきた車が、スピードをあげて、脇を追い越して、そのまま突っ走って行ってしまうような。運転している人も追い越された人も止められない‘運命’という車。