先週末(12月12日)は鳥取支部創立10周年記念講演会に行ってきました。夏から予定に入っていたのですが、迫ってくるとだんだん億劫になり、仕舞いには泣くほどいやになった。行きたくない、でも行かなければ、という葛藤の始まり。私は人生、いやなことは一切しない、と決めたはずだったのに。前日に腹痛でも起きないかしら。ウソついても遠くて見えないのだから、急に具合が悪くなったことにすればいい。と言いながら、代役も見つけられず当日を迎えて、結局行くことに。
しぶしぶ、お化粧をして、家を出て、歩いて池尻大橋駅に行き、渋谷でJR線に乗換えて、品川下車。京急線で羽田まで。新しい全日空のターミナルから、飛行機に乗ってしまった。何も考えたくない。1時間と少しで米子空港。お迎えの友森さんが笑顔で立って待っているというのに、ふて腐れついでにふて腐れている会長。
会場に到着するや、開会です。すぐに「会長あいさつ」のスピーチを始めました。すると、あちこちに懐かしい顔が見えます。えっ、あの人、鳥取の会員だった、名前が思い出せない、あれは島根の山本さん、と頭の中で想像しながら話を続ける。受付け係の原さんと話したり。だんだん心の中の硬い氷が溶けて、やはり来て良かった、急病になっていたら、みなをがっかりさせたんだから、と思い直してくる。
そして、極めつけは細田さんという会員さん。今年84歳になるという。私の顔を見ただけで、もう目に涙をためている。「先生にお会いできてうれしい」と私を先生と呼んでくれる。84といえば、私の母親の年齢。そんな人にこんなに喜ばれて、申し訳ない。思わずもらい泣きしてしまった。足が不自由で小さな押し車につかまって歩いているから、おそらく遠出は無理。すると、私が鳥取を再訪しない限りは今生の再会はない。案の定、別れ際には二人で泣き出してしまい、言葉にならない。
なんだろう、この熱い涙と別れの悲しさは。 細田さんと私は所詮、他人なのに。昨日まで、もう地方の支部に一人で出向くなんていやだわ、と抵抗していたというのに。私の我儘が揺らいでしまう。細田さんは私に「機嫌直して、もう少し会の仕事を続けて」と暗に諭してくれたのです。実家のお母さんに諭されて、娘が嫁ぎ先に戻るような感じかしら。
私は実は全国にお母さん、お姉さん、妹、娘をいっぱい持っている至福者。みんなそれぞれの持ち場で一生懸命生きている善良な人たち。中に私のように仕事がいやになってやめたいと悩んでいる人がいくらでもいるでしょう。でもみんな頑張っているのだから、私もこれが私の人生と決めて、続けるしかないのだ。
なんと言っても、この世界。再発して苦しい抗がん剤治療中の人、何を試しても病状が少しも好転しないで絶望の中にいる人、そんな気の毒な人がいくらもいる。すれば、私の‘いやいや病’など取るに足りないばかりか、恥ずかしくて口にも出せないはずなのよ。頭でよくわかっているのに、時々出てくる私の持病です。