「四月の雪~~~ 一夜にして真っ白!」我がベランダから(久保怜子・帯広 2018/4/15) 「四月の雪~~~ 一夜にして真っ白!」我がベランダから(久保怜子・帯広 2018/4/15) 午前中は荒天、どうなるかと思ったのに、午後からは静かになり、少し陽が射したり、東京はこうだから天候的には住みやすい。しかし、「イタリアの小さな村の物語」なんか見ると、我が人生、貧しいなあ、とつくづく思う。やはりあんな自然の中で、家族といつも一緒、そう豪華でもないが、手作りパスタに採りたてのトマトでソースを作り、パセリを庭からもいできたり、自然との連帯感がある日々。別にイタリアでなくても日本でもそっくりの生活をしている人がいるはず。とても羨ましい。東京は、いくら緑があっても砂漠です。
今年1月に78歳になった途端、右ひざ痛が始まり、今も痛くて、診てもらっても、どうしてもガマンできないと言うなら注射しますが・・・とすぐにはしてくれない。ケチと思ったが、いろいろ人に聞くと、注射はいっときだからしてもしなくても同じ、なのだそう。
友人が自分が痛いときに取り寄せたサプリを一袋くれた。粉末で無味、何にでも入れられる。サプリなんか信じない人生方針だったが、ここまで来ると、何の頭でしたかね?・・・
信心だという、信じて真面目にのんでいる。友人はあれで治ったと言うのだが果たして?
乳がんでどこか痛い思いをしている人はいないのだろうか?伝わってこなくなって久しい。みんな自分で解決してるのだろうか?患者会が痛みを分かち合う場だった時代も終わった感がする。いよいよ幕引きを真剣に考えるべきかもしれない。40年という長きに亘って安定した活動を続けてきた会だから巨人軍のように永遠になくならないと思っている人が多い(かもしれない)。でも、始まりがあれば終わりがある、の通り、終わりはある。その時に人々は会の存在に意味があったと評価してくれるだろうか?自分の死後、人がどう評価してくれるか、生きている内に知りたい心境で、今、知りたい。
医師の勧める治療を拒否し、自分の納得を優先させる患者が出てきている時代。日本女性もここ数年の間に数段強くなって驚いている。医師のほうがあっさり諦めて、無理強いをしない。がんは命がかかっているのだから、少しは無理強いしても説得してほしいと私は思うのだが、決意の固い患者には、誰も何もできない。よいことなのだろうか?死が目の前にぶら下がれば、違ってくるのだろうか?家族も、本人の死後、何故、もっと医師の診断に従うように言わなかったのかと聞くと、本人が決めたことだから、とあっさり答える。日本人が砂漠のように乾いてきている。 ワット  akebonok@d9.dion.ne.jp