中村先生と奥様の紀子さまを挟んで<br>左端・福田先生、右端・がん研の大野先生<br>(やはり、みなさん、少しずつ年を取りましたか?)中村先生と奥様の紀子さまを挟んで
左端・福田先生、右端・がん研の大野先生
(やはり、みなさん、少しずつ年を取りましたか?)
全国のみなさん、こんにちは、

去る6/4, (われらが)中村清吾先生が、昭和大学医学部乳腺外科主任教授を退任された記念パーティが、かの帝国ホテルで行われました。私も(モチロン!)日本の乳がん患者代表として招かれて行ってまいりました。名誉なことでした。コロナで、パーティなどは3年ぶり位で、あの雰囲気はすっかり忘れかけていました。ざっと200人か、もっとか(ちょっと数えられなかった)大きな丸テーブルに(8人/10人かけ)4人ずつ人数を限って、着席。

 

退任と言っても、まだまだお若い先生はこの後も同学の乳腺センター長として残り、その上、新しく設立した「(昭和大学)がんゲノム医療センター」のセンター長として新しい一歩を踏み出される門出のパーティでもありました。お祝いの言葉の中には、先生のこれまでの数々の業績、穏やかなお人柄などを讃える言葉が次々と述べられました。中でも、私が一番知りたかった長年の謎が遂に判明したのです。

 

先生が何故、当時、人気絶頂期で、乳がん症例数もがん研有明病院に次いで国内2番目と言われた聖路加国際病院の乳がん部長をやめて、昭和大に行かれたのか?―――それまで乳腺センターがなかった昭和大病院で作ることになったとき、そこの先生がたに聞いたそうです。「これをスタートさせるのに何が必要か?」そうしたら、全員が「あの中村先生をトップにほしい」(正しい表現ではないかも)との要望、そこで、偉い先生が聖路加へ交渉に行ったのが始まりだったそう。2010年のこと。面白いでしょ、裏話。そして、そもそも「がんゲノム医療」とは――

 

「各々のがんの個性(遺伝子の異常)を把握し、最も効果が期待できる薬剤を見出すという一連の医療のこと」。ただし、多くの候補薬剤は未だ新薬であり、どの程度の量を使えば最大の効果が引き出せるか、あるいはまた、副作用の種類や頻度を把握するために、ごく限られた施設で、治験という厳密な管理体制の下で使われています。また、現時点では、検査の結果、治験の段階。また現時点では、検査の結果、候補薬剤に巡り合えるのは、受けた方のうち10-20%程度」

 

中村先生はコンピューター技術のずば抜けた技量の持ち主で学生時代からその道に進むか考えたり、あとあと学会で秀でた作品に対しての賞を何度ももらったりされたのですが、その昔、まだ先生が駆け出しの頃、【あけぼの会】の講演会に大きな重いセットを背負って来られて、写した画像がチョロチョロ動くので、私たちはすごく感動したことを思い出します。今なら、珍しくないことなんですが。

 

先生、長い間、乳がん分野でごくろうさまでした。これからも今まで通り続けてくださるそうで、患者にとってありがたいことです。また、新しくゲノムの世界で先生のチャレンジ精神を全開させて、がん患者のために新しいがん攻略法を見つけていただけることを患者一同大いに期待しています。 akebonotokyo@gmail.com 《2022年06月12日 更新》

 

バナー広告

共同文化社