〈発見から手術まで〉
●1997年3月(46歳)しこり発見
就寝前に首から胸付近をチェックしていたら小豆大のしこりを発見、細胞診の時、固くてなかなか針が刺さらなかったので、医師からは「ヤバイと思って下さい」と告げられた。しこりの大きさは11mmで、マンモグラフィーでも白く映っていた。しかし「他には影が見えないので取ってしまえば大丈夫、早期発見だから」と言われた。場所と大きさから見て、乳房温存でいけると説明を受けたが、全摘でも構わないと伝え手術室に入る。
●1997年5月 左乳房温存手術(StageⅡB)
術後、「目に見える病巣は取り除いたが、見えないところにあるといけないので、念のため放射線治療をしておきましょう」とのことで、傷が落ち着いた頃から一か月間ちょっと、照射を受けた。やけどのひどい感じで赤くなったが、薬でなんとか治った。そして、ノルバデックスの服用を5年間続けた。
毎月通院して、採血やマンモグラフィーや超音波などの検査をして5年が過ぎ、「もうマイナス要素はないから卒業です」と言われたが、とても信じられず、再発の不安は常にあった。主治医からは、年一回、人間ドックを必ず受けるよう言われ、しっかり守った。

〈10年目の再発〉
●2006年12月 肺転移
「10年目だなぁ〜」と思って受けた恒例の人間ドックのCT検査で「肺に転移の疑い」と言われ、びっくり。一瞬「死ぬんだ」と思った。ドックの医師も呼吸器科の医師も、そして手術してくれることになった肺外科の医師も十年前の乳がんの遠隔転移だろうとの診断だった。が、肺原発かもしれないという疑いをハッキリさせるために、気管支鏡で2回サンプル採取を試みたが、病巣まで届かず、「検査と治療を兼ねて胸腔鏡で取りましょう」となった。しかし、病巣が両方とも太い血管のそばにあり、機械が触って大出血になったら大変と、結局、開胸手術になった。2007年2月に左肺、3月に右肺を手術。
術後「今まで通りの生活をして欲しい、それが回復への早道」と言われて退院したが、胸や背中が痛くて息苦しくて、食欲も体力も落ち、今まで通りの生活には戻れなかった。
●肺転移の診断結果は、ER(+)、PR(-)、TTF1(-)、GCDFP15(-)、Herceptest2+、HER2FISH(1.78.negative)
●2007年4月 ホルモン治療開始(アロマシン服用開始)
アロマシンを開始したが、2年後に左肺に影が表れた。腫瘍マーカーも上昇している。
●2009年10月〈あけぼの会に入会〉
不安が募り、乳がんのいろいろな講演を聞きに行ったり、本を読んだりしているうちに、
あけぼの会に出会い入会した。私と同じように再発治療をがんばっている会員と出会って、経験談を聞いて大きな感銘を受けた。
●初発もショックだったが、再発は絶対的孤独感だった。一人でこの不安と闘うのは私には重過ぎる。来年のことも考えられない漠然とした不安から逃れられなかった時、一緒に闘っている友人がいることはどれだけ心強かったか。
●会を通して、具体的な治療方法や認可されたお薬などの話を勉強でき、少しずつ不安を整理できて、徐々に心の落ち着きを取り戻すことができた。多くの友人もでき、本音で話せること、語る場があることは有り難く、心が軽くなり、勇気をもらえた。

〈転院〉
●2010年8月
がん友から背中を押してもらい腫瘍内科のある病院でセカンドオピニオンを受け、転院を決める。
●2010年10月
骨転移が判明、ゾメタ開始
腫瘍マーカー上昇のため、ノルバデックスに変更
●2011年4月
腫瘍マーカー上昇のためヒスロンHに変更
●2012年12月
フェゾロデックス注射に変更
●2013年10月
フェマーラに変更(プロセキソール投入前の準備として3か月服用)
●2014年1月
プロセキソール(女性ホルモン)に変更
●2014年8月
フェマーラを再度服用(がん細胞に揺さぶりをかけるため)
●2014年10月 脳転移発覚 ガンマーナイフ照射
この年の3月にインフルエンザB型にかかり、その後嗅覚が失われて耳鼻咽喉科を受診。嗅覚細胞を調べるために受けたMRI検査で脳転移発覚、数日後、ガンマーナイフ治療実施(3ケ所、計45分照射)以降、1〜2か月毎に、定期的にMRI検査でチェック中)
●2014年12月 抗がん剤に変更
ホルモン治療8年を終え、初めての抗がん剤TS-1に変更し、現在に至る。
●2015年10月よりジェムザール

〈今、私の願い、そして、家族に心から感謝!〉
がんをガツンとやっつけるのではなくても、何とかなだめながら、共存していける、一日でも長く延命できるお薬、そんな夢のようなお薬を待ち望んでいる。
そして、今あらためて、家族に感謝したい。長年、大きな不安と負担を強いてきた夫、二人の子供たち。こんな、病気になって申し訳ないと、いつも思っている。夫は日々の洗い物や洗濯、買い物、料理と、ほとんどの家事をこまめにこなして助けてくれている。今こうして幸せな毎日が過ごせているのは、家族の支えと理解のお蔭だ。心から感謝している。当たり前の生活、何気ない平凡な日々がどれほど愛おしく、尊いことか改めて感じる毎日である。
             私は再発患者だからと決して諦めてはいない。(2015.9.10記)


【2016年8月現在】

2016年3月よりAC療法
始め、7月終了(6クール)。
AC療法は、今年の3月から、私からお願いして体力のあるうちにと始めた。
初発から20年目、はじめての脱毛を経験したが、構えていたほどのことはなく、意外とすんなり受け入れられた。

それよりも副作用の1つである「息苦しさ」が一番、こたえた。
6クールで終了と決まっていたので、カレンダーを見上げては、「あと、もう少し…」「もう少し…」と言い聞かせていた。
マーカーは高値なりに少しずつではあるが、すべて下がり、現在は休薬中。髪の毛もすぐ生えてきて家族にタワシのように気持ちが良いとよく撫でられている。味覚もマシになってきたので食事が楽しくなってきた。

主治医の話では、マーカーの動向などを見ながら、次の治療を決めるとのこと。
もっと厳しい治療も覚悟しているが、やれることがあるうちは頑張りたい。
しぶとく、ねばって次のチョイスに繋がるお薬がどんどん出て来てくれることを願っている。  (2016年8月30日記)

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