「何の治療の手立てもない」と言われても私は諦めない
2017年5月半ば、寝室にいたとき、激しい咳が2回出て、小水もしょぐるように2回出て、どうしたのかと思いました。風邪を引いているわけでもないのにおかしい、すぐに結核を疑いました。急いで松井田病院に行って診てもらいました。そのとき、マンモグラフィーの検査も受けました。
その結果、「明日9時に藤岡市のくすの木病院へ行ってください」と言われ、翌日、検査を受けに行きました。夕方の5時迄かかりました。何分か置きに飲みものを飲んでという検査だったのですが、それはペット検査だったと後になってわかりました。
その翌日、早い時間に松井田病院から℡があり、「検査の結果が出ました」とのこと。早かったので、これは何かあるなと、すぐ受診しました。すると群大の医師が呼ばれていて「これはがんだよ。高崎総合医療センターと富岡総合病院とどっちがいい?」と聞かれました。私は軽い脳梗塞を2回やっていて、年に1回MRIをしている高崎総合医療センターをお願いしました。
乳がんの宣告/余命1ヶ月~1年
医師が左胸を何かで指し、「がんですね。安中市にはこちらの病院にいたよい医師がいますので紹介します」と言われ、私は喜んでI医師を訪ねました。ところがI医師は私の方を全く見ないので顔はわからず、小さい声で話すので、何を言っているのかわからない、困ってしまいました。それで私は「余命はどの位ですか」とたずね尋ねたら「1か月から1年」との即答でした。何故か、悲しくはなかったですね。
2度目の診察の時に、公立富岡総合病院に紹介状を書いてほしいとお願いしました。公立富岡総合病院の外科の野田医師は素晴らしい先生でした。でも、私は抗がん剤をするのがこわくてこわくて仕方がなかった。(まだするとも言われていないのに)
取り敢えず切除/10年20年生きるかも!
先生は「がんが治るわけでも余命が長くなるわけでもないが胸を切りましょう」と言ったけれど、検査をしてみたら「このくらいなら大丈夫」とおっしゃってホルモン剤を飲み始めました。「この位ならちゃんと治療をしていけば5年や10年生きている人はザラだよ。10年20年生きる人もいる」と言ってくださいました。
野田医師は温かい方で気さくで思いやりがあって、よかったと思ったのに、間もなく、松戸市に転勤してしましました。私と主人は1回だけど松戸へ診てもらいに行きました。でも今お世話になっている五十嵐医師も患者さんを大事にして下さっていて、また診察の時には、小池看護師さんがずっと付いていて、何かあった時や、痛み、不安など、この看護師さんに℡すると医師に伝わり、「受診してください」とか、不安を受け止めて答えて下さり、また家にも電話を下さるので有難く過ごしています。
丸山ワクチンをトライ
それでM医師のところにも行ってみました。そこで勧められて、丸山ワクチンを7ヶ月してもらいました。ただ、週3回注射を打つのは辛く、行く日は血圧が決まって189に上がり、具合が悪くなるので止めました。両方の病院に行っている後ろめたさはあったのですが、M医師がニコニコ楽しそうに笑いながら「5年以内に死ぬよ」と言ったので、行かないことにしました。今は富岡総合病院に通っています。とても信頼しています。
ステージⅣの乳がん
順序が逆になりましたが、私は今70歳、左胸乳がん、肺にも転移しており、リンパ節にも転移していて、ステージⅣです。ホルモン剤で、5月~7月にかけて本当に辛い思いをしました。ノルバテックスという薬で、乳がん進行を遅らせるものだったのですが、私は副作用とは知らないで苦しみました。汗はだらだら、頭は痛い、のぼせ、ほてり、左耳の耳鳴り、食事をしても全く味がしない、全身が苦しい、頭が、雷が鳴ったような痛さに苦しみました。
ああこれは死ぬな、早くお葬式の準備をしなくちゃと思い、こんな苦しいなら死んだほうがましだと思いました。ノルバテックスをやめて、なにも飲まないまま4ヵ月くらいして受診しました。すると「今度の11月2日の受診に、またホルモン剤を出します」と言われたので、小池看護師さんに℡をして大丈夫か聞きました。「この前の副作用が強く出たので悩ましいところではありますね」との返事でした。
日本対がん協会に☎する
それで以前、乳首が痛かった時(今は全く痛くない)お世話になった日本対がん協会のがん相談ホットラインに電話をしました。(03-3541-7830、今はコロナのため10:00~12:00、15:00~18:00)「医師に相談したい」と申し出ると、医師の予約を取るときの03-3562-8015に電話をすると「何日の何時に電話して下さい、15分ですが、あなたのがんの専門の医師が出ます」と答えて下さいます。私は10月28日に予約を取ってあるのですが、今は乳がんの特別月間ということで、先生の方から電話を下さるそうです。勿論無料です。
自分のことは自分で決める
今、私は痛みもなく食事もおいしく、有り難く過ごしているのですが、ただ息子が「病院に行くな。その方が長生きする。」と言って口を出すので困っています。
・私は治療をする
・私のことは私が決める
・場合によっては抗がん剤もする
と決めています。
近所に乳がんで先生の言う通りにして16年生きている方がいるのです。乳がんになって3年半生きてきて、弱虫で…こんな私ですがよろしくお願い致します。
–(2020/10/24) 買い物と洗濯と病院への送り迎えをしてくれる、愛する夫の誕生日に–