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★【あけぼの福岡】で再発乳がん患者さんだけにしぼった集まりです。
年3、4回(不定期的)開かれています。次回開催日等は、
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 手術は14年前、2005年4月、45歳の時でした。しこりのようなものを左胸の上部に見つけたのですが、それが左胸と右胸の間、胸骨の上あたりだったため、単なる脂肪の塊と思い込み、また仕事も忙しかったため、すぐには病院に行きませんでした。しかし、月日とともにだんだん大きくなってきたので、6カ月以上経ってからやっと受診、「乳がん」と診断されました。手術は「温存でも全摘でもいいですよ」と言われましたが、温存で再発のリスクが少しでも高くなるなら嫌だと思い、即時に全摘手術をお願いしました。当時中学1年の息子と高校2年の娘を置いて、何度も手術なんてできないと思ったからでした。
 しこりの大きさは5㎝、リンパ節には転移はありませんでしたが、先生に「がんは思ったより大きかったのとがんの顔つきが悪い」と言われました。「顔つきが悪い」とはどういうことなのか、その時すぐにはわかりませんでした。術後補助療法は、ホルモン治療(ノルバテックス)を行いました。

●局所再発、なぜ?
 翌年8月に局所再発しました。全摘したのに、ホルモン治療も行っていたのにと、私は愕然としました。そして、2度目の手術、左胸、左側鎖骨下のリンパ摘出。私の左胸は、フラットから陥没した胸へと変わってしまいました。そして、放射線治療25回を受けに、F大病院に毎日通いました。その後、治療薬はリュープリンとアロマシンになりました。
 2011年4月、先生から、5年間ホルモン治療をしたので“治療終了”と言われ、私は完治したのだと思い、嬉しい気持ちでいっぱいでした。

●そして、遠隔転移
 2013年、局所再発治療終了から2年後に、左右肋骨、右股関節、左大腿骨、右肺の4か所への遠隔転移が見つかりました。それで、終了していたホルモン治療(リュープリン、アロマシン)を再開、そして骨転移のため、ランマーク皮下注射を始めました。
 2014年4月、リュープリン中止、治療はアロマシンとランマークだけになりました。
 2015年10月、朝、左胸側の痛みで目が覚めました。また、左胸の乳がんが大きくなってきています。病院に行くと、肋骨、右股関節、左大腿骨への転移の痛みでした。アフィニトールを勧められましたが、副作用が強いことを聞いていましたし、この病院でのアフィニトールの治療患者は、私が二人目とのことで、新薬の副作用が怖くて、「放射線が受けられないか」と先生にお願いして紹介状を書いてもらいました。9年前の初期治療で放射線を受けたF大病院に受診しました。
 2015年11月、放射線は前回照射したところと被る部分があるので出来ないとのこと、転移があるのでと、同病院の腫瘍内科へ受診しました。治療は、フェソロディックス+ランマークになりました。
 2016年4月、また左胸の乳がんが大きくなり(触ってわかるくらい)、薬がTS-1(経口抗がん剤)+ランマークへ変更になりました。  →次回へ続く

今回は3回に分けて、連載します。
次回は9月10日ごろに掲載予定です。

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