「五反田川」(川崎市)の河津桜さくら
 (斉藤純代 2024/3/1)

先日、三重の会員さんの娘さんからメールで、お母さんの逝去の知らせが届きました。私がメールでお悔やみの言葉を送りました。
「お母様が亡くなられた由、メールをいただいたのにお悔やみが遅くなりました。さぞ、さみしくなられたことでしょう。でも、あなたのようなやさしい娘さんを持って、お母様は幸せだったでしょう。どうか、これからもお母様との思い出を大切に、お元気にご家族と仲良く生きていかれますように。少しでも励ましになればと思って書きました。ならなかったら、ゴメンね」
このメールにすぐ返事をもらいました。
「こころ温まるお言葉ありがとうございます。母の希望で、以前に講演会に出席した際にワットさんと撮った写真を遺影にさせて貰いました。とても気に入って闘病中もずっと飾っていましたので。まだまだ寂しいてすが、生前に母から沢山の言葉を貰ったので、それを心の支えにして、家族で笑顔で過ごして行きたいと思います。最後は駆け足でしたが、みなに感謝の気持ちを残して旅立っていったので心残りはありません。ありがとうございました」
こんなメールをもらって泣かない人はいませんね。でもすごいのはここからです。
「講演会って、ひょっとして、名古屋の講演会〈2019年)ではなかった? あなたが写真を撮ったんではなかった? 何だか、細い人だったような記憶なんですが・・・ワット〉
「その会だったと思います。私が撮影しましたし。覚えて下さっていて嬉しいです」
名古屋での全国大会でロビーにいたら、「写真を一緒に」と頼まれて、何気なく(笑顔で)一緒に写してもらったあの人だった。どうですか? 私の記憶力!もう会えないのは悲しいけど、あの時の写真が遺影になり、闘病中ずっとあの写真がそばにあったとか、もう一度、会えたらよかったですね。こうして、あちこちの県の会員さんと出遭い、別れて、これが私の人生、私の運命。
「AKEBONO NEWS No.6」で紹介した山形の須藤さんも、あれから間もなく亡くなりました。ご主人から連絡が入って、でもあのレターは間に合わなかった。ごめんなさい、きっと見たかったでしょう。須藤さんも私がロンドンから送ったカードをすっと部屋に飾っておいたと言っていましたね。1枚の写真やカードが、小さくても生きる力になる。これって感動的、これからも努めて書いて送ることにする。メールは飾れないから、やはりカードとか飾れるものがいい。
1週間前、富樫さんのご主人とランチしました。美佐子さんは東日本大震災の年、59歳で亡くなった。12年も過ぎた。ご主人は海外で働いているが、帰国すると連絡が入り、いつも一緒にランチする。そして、「あの人は本当にいい人だったわね」と思い出話をする。12年経っても、亡くなった会員のご主人と会うなんて、あけぼの会って、縁を大事にする会というか、心の繋がりが切れない会というか、こんな話、胸が熱くなるでしょう。
                             takakowatt@gmail.com

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