●今日から5月、さつき、May, イタリア語でMaggio(マージョ)、そして1、2日は連休のはざま、気温は上昇、なま温かくけだるい。平日なのに、町のざわめきも小ぶり。国内海外国民大移動、でも私はネコのジローと引きこもっている。明日から孫のリラが来てくれる。一日は六本木の国立新美術館へ国展を見に行く(招待券をもらった)ことに。しかし、他のプランがない。先月29日に16歳になった。もう子ども扱いできないので、むずかしい。
●ふと、20年近く前、一人でミラノ空港で乗り継ぎの飛行機を8時間も待っていたときのことを思い出した。トリエステという北イタリアの都市へ行くためで、そこで乳がん会議があった。日本を出てから15時間以上経っていた。話をする人もいなくて、空港の店で見た金のネックレスを買いたくなって迷い始めて、行ったりきたり、結局買ってしまった。トリエステの患者会会長さんは地味な女性で、自身はがんを体験してなかったので、あるとき補助金をもらうのに問題になり、そのとき、なぜか日本人の私に「この人はリーダーとして必要な人」という推薦レターを書いてほしいと頼んできて、書いて送ってあげた。
●先回書いたオーストラリアの患者会が創立記念大会をするとき、日本からメッセージを送ってほしいと頼まれて、すぐに思いついたのはピンクのハッピを着て、ラインダンスをしながら「ハロー、オーストラリア!」と叫ぶというアイディア。英語堪能な女性に挨拶を頼み、製薬会社の男性にミュージックを流して撮影してもらい、すぐ編集して、送ってもらった。ダンサーは会員有志で6人、音楽はミュージカル「コーラスライン」だった。シドニーの大会場のビッグ画面に映し出されて、観客大歓喜だったと喜んでくれた。こんなふうに、あけぼの会は国際的にも頼りにされ、貢献してきた。スゴイんじゃない?
●さて、第2日曜日【母の日】は、あけぼの会乳がん啓発の日(左記お知らせ欄)、今年も13の府県でそれぞれキャンペーンを展開する。リーダーは今、準備万端整えるのに燃えているだろう。全国規模でキャンペーンを32年続けてきたが、大元に力がなくなって、県別独自の力に任せるようになった。みながんばりやさんなので、心強い。また応援する会員も自ら参加する心意気がある人たちなので、盛り上がる。「幼い子供達を残して乳がんで亡くなる母親をなくそう」という切なるメッセージが、今年も多くのママさんに伝わってほしいと祈る。
●5年以上前に温存手術をした人が同じ箇所に何かあり、再手術といわれて連休明けを待っている。休日を楽しむ気持ちなどなく、落ち込むばかり。心中、想像しただけでかわいそう。がんは人も時も選ばない。不公平極まりなく、終わりがない。もう少しのガマン、みんなであなたを応援しています! ワット akebonok@d9.dion.ne.jp
*明治33年4月15日、現在の宝来区に蓮佛常藏ほか有志により、当時の千野開発合資会社の守護神として八幡大神を奉斎した 昭和40年1月神社名を八幡神社から公園八幡宮と改称。鈴蘭公園に連接する大きな神社