炎天に楚々と咲く花、芙蓉(ふよう)、花言葉は「繊細の美」<br>  ―最盛期は8月、一つの花の命は1日<br>撮影;前田こずえ(東京)2021/7/31炎天に楚々と咲く花、芙蓉(ふよう)、花言葉は「繊細の美」
―最盛期は8月、一つの花の命は1日
撮影;前田こずえ(東京)2021/7/31

あけぼの会を通して知った友4人が旅立ってしまった
2015年5月に「私の抗がん剤遍歴〜再発治療7年半の間に14種類以上の薬を使用」←クリックという題名で、また翌年8月に「前回から1年余りを経過して」←クリックという題名で、My Storyの原稿を書かせて頂いてから、早いもので5年が過ぎた。おかげさまで、今なお新薬のお世話になりながら、生き延びることが出来ている。その後の治療経過を数回に分けて振り返るとともに、現在の私の状況もお伝えしてみたい。
術後16年半、再発後13年半、しぶとく生き永らえている。【あけぼの会】に入会した時、副会長であられた富樫美佐子さんが迎えることが叶わなかった還暦を、今年6月17日に迎えることが出来た。この日は彼女が2011年に旅立たれた日、誕生日が富樫さんの祥月命日、何かご縁を感じる。亡くなられてから早や10年、あの時の彼女より歳を重ねたということがなんだかとても不思議な気持ちである。
来年3月末には36年余り続けてきた仕事も卒業する。残りあと8か月、定年までフルタイム勤務という目標をなんとか達することが出来ればと思っている。2009年6月、最初の再発治療であったタキソテールが一旦終了になり、職場復帰を果たした翌月のこと。先の長い治療を続けていくためには、共にこの病気と向き合う仲間がどうしても欲しい・・・と【あけぼの会】に入会したのだったが、早いもので12年が過ぎた。こんなに長くお世話になれるとは思っていなかった。
会を通じて知り合い、親しくさせて頂いたかけがえのない同世代の4人の友人が、残念なことに昨年夏までに皆旅立ってしまった。2013年、東京オリンピックの招致が決まった時、「皆でオリンピックを見られるように頑張ろうね。」と言っていたけれど、そのオリンピックは、当時は思いもよらなかったコロナ禍で1年延期され、文字通り見ることが出来ているのは私一人になってしまった。

さて、現在の私について
昨年7月、新薬エンハーツを開始してから1年が過ぎた。先月の治療(7月14日)は好中球低値により、この薬になって初めて投与中止になった。明後日(8月4日)再トライの予定である。副作用はなかなかしんどく、正直苦労している。先週水曜日(7月28日)に2回目のコロナワクチン接種を終えた。これまた、それなりの副反応があったが、少しだけ気分的に楽になるのかもしれない。とはいえ変異株も広がっているし、第5波の中、心配は尽きない。
それにしても行動抑制が強く叫ばれる中、それとは対極にあるオリンピック。本当にこのまま閉会式まで突き進んで良いのか、さらにはパラリンピックも行っていいのか、甚だ疑問である。(2021/8/2記) 追記 この後、不定期に2017年のジェムザール、2018年のゼローダ、2019年のハラヴェン+パージェタ+ハーセプチン、そして2020年からのエンハーツと4回に分けて治療経過をプライベートな出来事も含めて辿って行こうと考えています(次回からは「My Story」のページで)。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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