鹿児島のシンボル、桜島<br>撮影:リラ(2021/8月) 鹿児島のシンボル、桜島
撮影:リラ(2021/8月)

全国のみなさん、こんにちは、   
 また「緊急」も延長され、気分が滅入るばかりですね。私も完全に沈んでいます。でも、生きていることはありがたいと感謝して、踏ん張って生きなければ、申し訳ない。

さて、「毎日新聞」(9/9付け)にまた「これだ!」という記事が載っていました。「心的外傷後成長」こんな言葉聞いたことありますか? 私は初めて。ここから引用→ 
災害や病気といった予期せぬ出来事に見舞われ、家族や恋人、地位を失うことがある。だが、長い悲しみの中で次第に「今の自分は過去とは違う。あの出来事があって今の自分がある」と感じ、「痛みが消えなくても人の心は成長する」と考える「心的外傷後成長」という心理学がある・・・・そうです。

そう、私たちは乳がんという「予期せぬ出来事に見舞われ」た。そして、大きなショックの中で、「がんという出来事があって、過去とは違う、今の自分がある」と感じて、なんと心が成長していたのです。気が付いていましたか? 心的外傷後の成長、私たちはただ無駄にがんと格闘したのではない、「成長」というかけがえのない贈り物をもらっていたのです。

私にとっての「成長」は38歳で「死」を見つめて生きるという生の飛翔だったと思う。40年以上経った今でもその姿勢は変わっていない。よい例が、私の短歌の中に出ている。講師の雁部貞夫先生(新アララギ代表)が、月刊誌「新アララギ」の〈編集室だより〉に「…東京・恵比寿「よみうりカルチャー」には・・・ワット隆子さんのように癌の患者さんたちを勇気づける活動をして、その傍ら、「命」をテーマにした歌を詠み続けている人もいます」と私を紹介してくださった。光栄なこと、私の歌は正真正銘、命の歌!

私はがんの後、いつ死んでもいい生き方をする、と決めた。具体的にどういう生き方か? 先ず、自分のしなければならない事を臆せずする。自分の言いたいこと、信じることを臆せず言う。この二つを通してきた。持てるものをフルに出し切った。過去形になっているのは【あけぼの会】の会長をしていた時の意気込みだったので、今はそれほど粋がっていない。

私の場合、難病で絶対死を見つめて生きた夫の看病もあったので、別の悟りもあった気がする。また改めて考えてみたい。人は逆境に遭遇して成長する。がん体験を賛美するわけではないが、がんのなかった人生より、ずっと重みがあり、得をした、と今つくづく思う。   ワットtakakowatt@gmail.com

今日の一首:
我逝けば泣くのだろうか孫娘 老いとは卑屈真っ赤な夕やけ   
 

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