今日は世界的にクリスマス。イギリス全土交通機関全線ストップ、移動は車と足だけ。朝から清らかな静寂、チラホラ歩いている人を見かけるが、地下鉄やバスがないだけで、町はからっぽに見える。飛行機の発着は平常通りなので、空港からの移動も車だけになるのだろう。大雪騒動で積み残された人々はクリスマスに間に合うように目的地に辿り着いただろうか。娘と孫のリラは24日朝、無事ヒースローへ着いて、ミニキャブで帰ってきた。病人はホーム、婿さんはインドに帰っていないので、ワット家全員集合とは行かない。

 が、代わりに未来の花嫁(ああ、どうかそうなってくれ)のアリちゃんが加わった。息子に身を固めてほしいのが母親の望みであるべきだが、何を隠そう、本音はイタリア人と親戚になりたい。イタリアならどこでもいい、シチリアのマフィアなんかだったら、最高だ。どうせ私の余生はあと数年しかないのだから、「ゴッドファーザー」のような劇的な世界でエンディングを過ごしたい。イタリアへ単身移住も可能かも知れない。本場のスパゲッティが毎日食べられるし、あの国では70過ぎでも恋も結婚もあるらしいではないの。

 息子が執念で探してきた大きなツリーに、リラは長旅の疲れも見せず、飾り付けを始めた。この楽しみを彼女に残しておく配慮がいい。めいめいが中身を見せないようにこそこそとペーパーに包んだプレゼントをツリーの下においていく。今年はアリの分だけ数が増えて、プレゼントが山になっている。朝、全員が揃うと、プレゼントを順番に一つずつ開けていく。誰から誰へ、となっているのを確かめながら開けるのをみんなで見て歓声をあげる。かわいそうに夫は一人ホームに取り残されて、こんな楽しみの輪の中に入れない。

 世の中から完全に忘れ去られてしまった。今年のクリスマスカードは数枚しか来なかった。例年なら、50枚は来て、置く場もないくらいなのに。こちらも代理で出さないのだからやむをえないのだけれど、なんともさみしい。ある日、「死亡通知」が届けば、まだ生きていたのかと驚くのだろう。生きているのが奇跡に近いのだから、少しも不思議ではない。2005年11月にALS診断を受けて丸5年、予想を超えて生きている。生きているのが当たり前になった今、死んでもらったりしたら、子供たちが狂ってしまう。これが怖い。

 息子が請け負ったターキーはちょっと焼き過ぎだったが、お味はよかった。3,4人用サイズを注文したはずが、4~7人サイズが来てしまったそうで、みんなで死に物狂いで食べた。残ったコールドターキーは誰も余り好きではないのだ。それを見通したかのように、まだ食べている最中にTVはコマーシャルでコールドターキーを使った一品調理法を流している。このタイミング。付け野菜も年一回の芽キャベツ、固めに炒め煮して好評だった。

 娘と私がここにいる間に息子は休みを取って27日から日本に行く。実はアメリカからも同日、友達の娘がボーイフレンドと来て、泊まることになっている。鍵や暖房の指示を書いて、和室に布団を二人分敷いて、電気敷き毛布も入れて、電気ケトルを買って、電話も子機が壊れていたので新しく買って、蛍光灯カバーも洗って、留守中の泊り客準備は大変だった。息子は私のベッドを使う。この暮れ、我が家は主のいない簡易ホテルになる。

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