今朝ほど11時過ぎ、兵庫支部長の有本さんから電話。それは東野さんの訃報を知らせるものでした。あけぼの会兵庫支部の支部長を17年も務めてくれ、しっかりした後継者にバトンタッチすると、50年間住み慣れた御願塚の自宅をたたんで、息子一家近くの浦安のマンションに移り住んだ人、82歳。彼女が入院していると聞いていたので、ちょうど1週間前の土曜日、副会長の富樫さんと二人で順天堂浦安病院へお見舞いに行ってきたばかりだった。月並みな言い方をすれば「変わり果てた姿」、気の毒で早々に失礼した。

 やはり余程悪かったのだ。ベッドに仰向けのまま、氷枕から1ミリも頭を持ち上げられないほど辛そうだった病人を思い出していると、ピンポーン、宅急便が届く。それがなんと東野さんからのお歳暮だった。ひと月前、救急車で入院する以前に発送手配を済ませていたことになる。中元には揖保の糸ソーメン大箱、暮れにはハムの詰め合わせを毎年送ってくれる律儀な人だった。「あなたはご主人が病気で、年金生活者なんだから、お願いよ、もう送らないで」と何度頼んでも、私が生きている限りしたいんです、と曲げなかった。

 逝去の人から贈り物が届く。本来なら、すぐに電話して「届きました、ありがとう」と伝えていたはずなのに。私はこの10、11月イギリスへ行ってなかった間に、会員のお見舞いめぐりをしていたようなもの。まずは富樫さんを10月23日聖路加病院へ。そして、11月20日は静岡日赤病院へ新川さんに会いたくて行った。彼女は12月1日に退院したのでホッとしている。この時、富樫さんも杖を付いて付いてきた。そして、先週27日が浦安。廣岡さんのお通夜は11月8日だった。思い出すと押しつぶされそう、気が滅入る。

 がん患者の会なのだから、死ぬ人もいるのが当然と言えば当然なのだけど、私は受けて立つばかり、重すぎる。しかし、私の好きな人ばかりなので、文句を言っているわけではない。考えてみれば、イギリスにも逃げられない病人が待っている。そして、明日の日曜日は「あけぼのハウス」、悩みの相談室。これもやりこなす私って何だろう。運命ね。胃がおかしいのに、胃カメラがいやで病院へ行っていない。みんなが、行け行け、というので、余計意固地になって行きたくない。ピロリ菌が騒いでいるだけならいいのだが。

 静岡は日帰りで、翌日は佐渡の母親に会いに行ってきた。あの週末を逃がすと今年はもう他になかったので済ませたかった。母は95歳、悪いのは足だけで、食欲など私より旺盛、頭しっかり口達者。今でも新聞や本を読んでいる。「もう会えないかもしれないから、帰ってきて」と頼まれ、いよいよ最後かと焦って飛んで行くと、行った私より元気なので、バカらしくなった。大げさに泣きつくのはやめてくれ。私より長生きしないでよね。

 新川さんが退院してくれたのが唯一明るい光、ありがとうね。ご主人の恵三さんがやさしくって、心配で夜も眠れないくらいだから、治ってあげないとかわいそうだものね。二人とも私の子供であってもいいくらい若いから、わが子のようにかわいい。何より、私を心から慕ってくれるので、泣くほどうれしい。たった今、連絡が入り、東野さんは密葬で済まされるそうで、すぐに葬送の儀はないという。正直ホッとして力が抜けた。