日本のみなさん、こんばんは。                             2010年4月4日(日)20:30

 長らくご無沙汰してしまいました。すみません。新年1月12日に彼の地より戻り、早や3ヶ月近く経ちにけり。私の身上を案じてくださっているみなさんに近況をお伝えしなければ、と気になりつつ、日々仕事に追われて、夜になると一杯の白ワインを飲みながらテレビなど見て、うつらうつら。「何でもあした」と先延ばしにして今日まで来ました。そして、なんとこの11日の日曜日には、また恨めしの国、イギリスへ向けて出立です。「人生なんて大半が神の仕組んだいたずらなのよ」といささか自暴自棄気味に呟いています。

 帰国後約1ヶ月は体調すぐれず、市販のガスター10を一箱のんでから、病院でガスター20を出してもらっても、まだ治らず、今度は新聞にあった「機能性胃腸症」か「逆流性食道炎」とか自己診断して、クリニックに駆け込んで有無を言わせず抗不安薬のパキシルを処方してもらったり、挙句の果てには卵巣がんではないかと、婦人科テストも受け(実に5年ぶり)、異常はなし。どうして治ったのか、今はまた元気になっています。思うに、あれは「2月病」だった。私は毎年2月になると不調を訴え始め、あちこち病院歩きを始める。

 2月の憂鬱な天気が合わない。陽が照らない、寒い、暗い、さみしい。今、目黒川の満開桜を眺め、その美しさにひれ伏している。私はやはり疲れていたんだ、それだけなんだ。でも、この3ヶ月間、一人暮らしはつくづくさみしいと思った。先日、NHKで「生涯未婚・無縁社会」現象を追求していたけど、私も夫に死なれ、子供たちが外国で住めば、似たようなものになる。なんだか最近とみにさみしい。日々、焦りを感じる。70という年を迎えたせいかも知れない。写真に写る70の顔が自分でない気がして、受け容れられない。

 病人はまだ生きています。しかし、かなり弱っているという報告なので、骸骨のような顔になっているのかもしれない。3ヶ月の空白が怖くなっている。誰もが彼はどうやって死ぬのだろう、と不思議に思っている。子供たちがしっかり見張っているので、死ねない。先日もおしっこ管の付け替え方がまずかったらしく、高熱を出し、夜の10時にそれに気づいた娘の機転ですぐに救急車で病院に搬送された。都合7時間もおしっこを溜めたままだったらしい。施設に連れ帰って、自分たちも家に帰って寝たのは朝の5時だったという。

 娘はこれで2度、病人を死から救い上げている。一度は2008年暮れ、急性糖尿病になっていたのを知らずにいて、救急ドクターにこのままおけば死にます、と言われて、入院させた。あの時も暮れの寒い夜の10時過ぎだった。彼女はこの4月1日に40歳になった。仕事に完全復帰することに決めたまではよかったのだが、職場に空席がなくて戻れない。空き待ち。この間、2年余り住んでいた大きいマンションは家賃が高いので出ることに決めて、イースターホリデーに引越しを済ませる予定になっている。私の寝るところはあるの?

 こっちの仕事もまじめにすることに決めた。次から次へとやることが湧いて出てきて、結構翻弄されている。しかし、二足のわらじ生活、続けるしかない。今は一刻も早く向こうへ行って、3ヶ月のブランクを埋めるべく、子供たちの疲れを少しでも癒してやりたい。