私の魂をそっくり奪い去ってしまった街路樹の紅葉が殆ど落ち葉になってしまった。ぽとりゆらゆら舞い落ちて、一年の命のおしまい。落ち葉は‘しとしと雨’に濡れて朽ちて舗道にへばりついている。うっかり足を乗せてしまうと、ずるっと滑りそうなので、雪道を歩くがごとく、靴底をずらしながら歩いている。こっちの人はハイヒールで闊歩しているので、なんだ、ありゃ、と足を止めて見とれている。そうだ、何事も勢いなのだ、びくびくしているから滑るんで、あんなふうに、はるか前方だけ見て、うつむかずに自信を持ってパッカパカと歩けば滑ったりしない、何のことはない、生きかたの暗示のよう。
今、病人のホームから帰ってきたところ、4時だというのに真っ暗に近い。今日も昼過ぎから冷たい雨が降り始めて止まず、その続きの雨の中を歩いていると、五輪真弓の‘恋人よ’が耳の中に聞こえてくる。「枯葉散る夕暮れは…」なんて、今の目の前の風景と今の私の心の景色そのままなので、沈みこんでしまう。倒れないで、歩くのよ。途中、コンビニでミルクと生姜一片を買う。私に中国人かと聞くので、ジャパニーズよ、あんたは、と聞くとなんと「アフガニスタン」と答える。アフガニスタン人なんて始めて見た。
思わず、私の表情に「戦闘ばかりしている国ね」と表れたのか、このニイチャン、にわかに真顔になって「俺のなあ、父親はアメリカ軍に殺されたんだよ、もしもだよ、あんたが身内を殺されたとしたら、どうするかね、ええっ?」と番台の上から見下ろして詰め寄る。「リベンジでしょ、勿論」と口先まで出かけたけど、怖くなって止した。私はアメリカ人じゃない、日本人だって言ったでしょ、帰ってもいい?で、逃げて出た。多種雑多の人種が住んでいるこの国では常に単一民族だけの国とは違った緊張感があることがわかった。
帰国は20日、滞在が10日を切れば、あとは秒読み感覚で日が過ぎるので、我慢できる。本当は夫ともいつ、どんな別れがあるか、これが最後になるかもわからないので、ここにいる時間を大事にしなければならないのに、不平ばかり言っている。日本にいても、自宅と事務所の往復に、二匹の猫に鯵を焼いてナマリを買って、あとはワイン一杯が楽しみの平凡な毎日。こっちでただ無意味な生活をしている、という心の葛藤と戦っているが、果たして何が意味があって、何が無意味なのか、人生の充実さと価値の尺度はなんだろう。
娘が仕事関係でイスタンブールへ3日間行ってきた。久しぶりに伸び伸びしただろう。彼女のためによかった。それで今度は息子が1週間の休みを取って、そのうちの二日間、私をパリに連れて行ってくれるという。まあ、私が彼に付き合って行くんだと思っているのだが、こういうチャンスもまたあるかないかなので、誘いに乗ることにした。明日日曜にセント・パンクレアス駅から3時間汽車に乗れば、そこはもうパリ。今度はモンタンの枯葉ね。パリも2日とも雨らしい。帰国が1週間先になってから、急に忙しくなった。
子供たちはホームでの扱いかたが気に入らない。ALSについて知らないから、扱いかたがわからないのだ。何回も教えているのに、と怒っている。しかし、何でもいい、預かってくれるだけでありがたいんだから、少々のことは目を瞑ってくれ、と私は拝んでいる。