「ワットさんの笑って長生き」コーナーを愛読くださっているみなさん、こんにちは。

このコーナーは最初、乳がんエッセイつれづれ、だったのですが、夫のALSが始まって以来、公私混同ではなく「私」専用になってしまっています。すみません。

発病は2005年11月でしたから、昨年の11月で丸3年が経過、4年目に突入しています。

当初、半年か、もって1年、と言われて慌てましたが、命の予測ほど当てにならないものはありませんね。その間、バンコックとロンドンからリポーターの私が実況中継をお送りして来ました。みなさんが息を潜めて読んでくださっている、その息が聞こえてきて、それでまた書く、という繰り返しでした。

特に昨年暮れは医師も家族も完全に諦めて、いざというときの手配までして、みな覚悟を決めたのでした。それがまた息を吹き返して、何事もなかったかのように、生き続けています。それも暮れから寝たきり状態で、食事もチューブを通してだけだったのに、最近は時折車イスでリビングへ連れ出してもらったり、また口からスプーンで少しずつ食べるようになったということ、まさに奇跡の生還です。

私は何でも気が早くて、もう死んでしまうのだから、と暮れにあれこれ捨ててしまって、先日、またミキサーで食事を作っていると聞いて、ミキサーも一度捨てたのを思い返して拾ってきたのよ、とは言えず、黙って自分の胸をなで降ろしたのでした。また面倒くさい日々の再開ですが、人間は死んだら本当にお終いなので、どんな姿でも生きていてくれたほうが家族はうれしい、ということを実感しています。

このコーナー、これまでの連載はまとめて横に取ってあります。ここからまた新しくスタートしますが、内容は同じく「ロンドン便り」です。日本にいるときは、あけぼの会の仕事に専念しなければならず、書くのは向こうにいるときだけ、というパターンはしばらく変わりません。今年は子供たちの負担を軽くするため、私が向こうにもっと長期間滞在できないか、日程を調整していますが、なかなか思うようにいきません。

私の出発は4月7日火曜日、3週間の予定で行ってきます。1月20日に帰国して、2ヶ月半も、日本にじっとしていました。おかげで、すっかり体も本調子。体重もこの間、4キロも増えて、嘘のように元気になって、「イギリス?日帰りでも出来るわ」なんて豪語しています。着いた途端に時差戦争の始まりで、また悲鳴を上げますから、見ていてください。

私の到着を待って、息子が休みを取って、日本に来ることに決めています。暮れの大騒動があったあと、ずっと介護の連続で、二人とも疲れ果てていると思われますので、次に娘にも休みを取ってもらえるよう、やりくりを考えています。

それではまた「ワットさんのロンドン便り」をお楽しみに。そして、たまには日本からあなたの近況も送って、私を応援してください。

 

→ワットさんのALS(1)(No.1~98)

→ワットさんのALS(2)(No.99~179)

→旧エッセイ(No.1~82)

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