・私が乳がんと宣告されたのは、今から20 年前、平成16 年、37 歳の春でした。実は、その数年前から、乳頭の痒みやかぶれなどの症状があり、皮膚科に通っていました。「これは下着で擦れることによるかぶれです。塗り薬を出します」と言われ、1 年ほど通いましたが、痒みは治まらず、だんだん薬は効果の強い物になっていきました。
・「まさか、乳がんでは?」と思った私は「念のため、乳腺の専門医に紹介状を書いて下さい」とお願いしました。それでも先生は、「違うと思うけどね~」と言われていました。
・それまで私は、乳がんは産婦人科で診てもらうものだと思っていました。しかも、私は5 人の子供たち全員を母乳で育て、親戚にも乳がん患者はおらず、乳がんなんかに罹るわけがないと思っていたので検診も受けていませんでした。がん=死 という文字が頭に浮かんできた
・専門医の視触診で、まず先生の顔が曇りました。超音波検査、マンモグラフィー、病理組織検査などの検査が行われ、「皮膚の状態としこりの大きさから悪性の可能性があります。抗がん剤が必要だと思われるから、その治療ができる病院を紹介します」と告げられました。
・がんと言われて、目の前にピカピカと星が飛んでいるような感覚と、小さい子供たちの事を考えると涙が溢れて止まりませんでした。がん=死 という文字が頭に浮かんできました。

全摘手術─ステージ3B ─抗がん剤
・紹介された大学病院で、改めて精密検査を受け、「悪性の乳がんで、リンパ節転移も否定出来ないので、全摘出術をします」と告げられ、2 週間後、右全摘出術、及び、鎖骨下リンパ節郭清術を受けました。病理検査の結果は、悪性度の強いタイプ(ステージ3B)で、大きさは5㎝、リンパ節への転移もあり、お乳を残すことは出来ませんでした。
・主治医の先生は、「治療は現在一番強いとされる抗がん剤(EC +タキソール)を半年かけていくこと。治療を受けずにいると10 年以内に亡くなる確率を100%とすると、治療を受けることで50%になること。副作用は人によるが吐気に対しては点滴や飲み薬で対処出来ること。髪の毛は抜けるので、帽子やかつらの準備が必要なこと。また、リンパ節を郭清しているから、右手に浮腫が起きる可能性があること。もしも再発するとすれば、2、3 年以内…」など、一つ一つゆっくりと丁寧に説明して下さいました。
・この時私は、もう涙は出ることはなく冷静に聞くことが出来ましたが、それほど、がんが進行していたのだと思いました。ならば、50%にかけて治療をしよう、子供たちのために前向きなお母さんでいよう!と思いました。

抗がん剤開始─胃ムカムカ─頭頂部は完全に脱毛
・1 回目の抗がん剤治療は、激しい嘔吐はないものの、いつもムカムカした胃のつかえた感じと、体の怠さ。そして、2 週間ほどすると頭頂部がやけどのようにヒリヒリし、痛みとともに1 ~ 2 週間ぐらいで頭頂部は完全に脱毛しました。
・先生は、「半年すれば生えてくるよ」と言われましたが、当たり前にあった髪の毛がバサバサと抜ける状況はとても辛かった。やがて、頭髪だけでなく体のあらゆる毛が抜け落ちました。朝、起きて、バンダナが外れていたら、当時6 歳だった末の子が「ママ、外れとるよ。かわいそう、かわいそう」と言って慌ててかぶせてくれるのを見るのも辛かったです。
・治療の間には体調を崩し入院をしたこともありましたが、たくさんの方に支えられ無事に治療を終えることが出来ました。かつらを着けて仕事にも復帰できました。

2 年目に肝臓転移─ 9 年目に腹部リンパ節転移
・しかし、2 年目に肝臓に転移しました。この時は、人目を気にすることなど考えられなくて、診察室で声を出してわんわん泣いてしまいました。
・また、抗がん剤治療の開始です。しかし、今回の薬は、新しく開発され保険適用になったばかりの分子標的治療(ハーセプチン)。髪が抜けない薬ということで画期的、ありがたかったです。しかも、再発したら治療は一生続くと言われていたのに、1 年経つと検査でも確認出来なくなるほど、がんは消えていたのです。先生からも「珍しいケースだけど治ったと思うよ」と言われました。
・しかし、9 年目の検査で腹部のリンパ節への転移が発覚。また治療開始です。今、4 週間に1 度のサイクルで、9 年が経ちました。今回の治療は生きている間は続くと思います。

10 年生存50%と言われたのに20 年経った
・告知当初10 年生きる確率は50%と言われつつ今20 年が経ちました。リンパ節を取り除いたら浮腫も出るかもと言われましたが、浮腫もありません。治療しながら仕事もさせてもらい、孫たち6 人もこの手に抱くことが出来ました。
・自分の体験がお役に立てるのであれば、と【あけぼの岡山】では 再発患者さんのための語らいの場「ひだまりカフェ」のリーダーをお引き受けして10 数年、開催回数も30 回を超えました。

亡き同士たちを忘れずに前を向いて生きていく
・20 年の間には、思い半ばにして、子どもさんやご家族を残して亡くなっていかれた若い患者さんとの悲しい別れも何度も経験しました。
・これからも、これまで共に闘った彼女たちのことを決して忘れず、頑張り過ぎず、前を向いて生きていきたいと思っています。

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