怒涛の波にもまれた2007年10月ももうすぐ終らんとしています。なんという多忙の日々、それもただ身体的に多忙ではなく、緊張と心配と責任が付きまとう。導眠剤なしで寝ようとすれば必ず夜中に数回目覚めてしまう。寝るのも要体力、と聞きましたが、熟睡するだけの力も十分ではなかったのか。何しろ年齢ですから。でも森光子さんが私の憧れ、あのおかたのように本当は自己に厳しく訓練を怠ってはいけないのです。

 10月1日、エスティローダー社の東京タワーライトアップで幕を開けた乳がん月間。なんとあのダイナマイト山田邦子さんに初めて至近距離でお会いして、お立ち台で点灯式、エスティローダーのLoomis社長さんも一緒でした。10月6日、朝日新聞主催の恒例「ピンクリボンフェスティバル」これも後に仙台、神戸と続く皮切り。今年は大空真弓さんと30分間対談の後、中村先生、岩田先生、癌研有明病院のナース武石さんと大空さん、4人のパネリストを迎えて、なんとこの私が司会を務めたのです。これって画期的!歴代初!

 翌7日は〈あけぼの会〉恒例の秋の大会、今年はオーストラリアからリンさんを招いています。6日の夜、朝日ホール終了後、成田まで遠来の客を迎えに行って、宿舎東京プリンスにチェックインしたのが夜の10時過ぎ、食事は要らないというので、地下のバーで一杯、ウェルカムドリンク、ノバルティスの玉岡さんが全部仕切ってくれたので助かりました。やさしい男性の介助がなければ到底できない。リンさんは疲れも見せず、私との再会を喜んでくれて、終始スマイル。あの人本当にシャーリーマクレーンそっくりなのです。

 心配していた‘入り’もそこそこで、空席は気にならなかった。ゲストのお話が好評だったのは先の報告を読んでいただけばわかりましたね。会長がなぜリンさんをオ―ストラリアから招いたか、納得した、という声を寄せてくれたみなさん、ありがとう。涙が出ました。「会場の一体感はメルボルンの人文字そのものでした」という感想は最高でした。そして、パーティ会場に移行、150人が食べて(少し飲んで)、あとは全員で激しいゴーゴーダンス!これはアストラゼネカの白井さんと中外の古株君が前頭指揮、思い切り踊りましたね。

 9日夜8:20、リンさんは成田第2ターミナルから一人でカンタス航空、私と台湾勢2人は第1ターミナルから8:30アシアナ航空で韓国へ向かったのでした。ホテルは五つ星、シェラトン・ウォーカーヒル、身分不相応でしたが、疲れていたので、ありがたかった。

 10日夜はソウル市庁舎ライトアップパーティ、韓国は何でもド派手、屋外会場でバンバンミュージック!テレビカメラが捕らえた映像がでっかいスクリーンになまで映る。市長来賓の挨拶あり、私と台湾のローラ、マレーシアのランジットも舞台に招かれて点灯式。

 11日、韓国、台湾、日本の3国ランチパーティ。と言っても韓国家庭料理でこれが今回の滞在中、私の口に一番合っていた。後は毎夜のレセプションで、まじめなフルコースディナー、私は何でもかしこまったものはキライ。土地の産物が食べたいのにね。全部で60人くらい、3国、言語が全部違って通じない。そこで、自己紹介は名前を言って、指で術後何年かを表す。これで乳がん患者の心は一発で通じる。秘策。みな仲良くなって大いにエンジョイしたのでした。