日本からは異常な蒸し暑さに閉口している便りが届くが、こちらはひたすら小寒くて、真夏だというのに、日中も未だに23度を越えたことがなく、朝は15度、連日、小雨・にわか雨時々晴れのパターン、降り出せば途端に気温が下がる。今回は夏服ばかり持ってきたので、寒がりの私は一枚だけ置いてあった冬セーターを離せなかった。あと数時間で、その熱暑の日本へ旅立つ。成田到着の瞬間、ムワッとした熱風が顔に当たるのを想像して、かつて冬の日本を出て、娘がいたバンコクの空港へ着いた時の混雑と暑さと思い出す。

 このたびの1ヶ月の滞在は今までで一番苦しかった。なぜか。病人が全く感情反応を示さなくなったせいかもしれない。感情という心の動きを完全に止めてしまった。それが証拠に昨夜親友のニックが食事に来たが、一度も彼の顔を見ようとしない。目は開いているが、何も見ていない。もう喜びも悲しみもどうでもよくなった。魂は違う世界に行ってしまったのか。人間をやめてしまったのか。後で、娘がニックが来ていたのがわからなかったのと聞いたら、わかっていたよ、と怒ったというのだ。目の瞬きで彼女にはわかる。

 息子はまだ口から物を食べさせようとして、それも玄米でなければと言うので、わざわざ玄米を炊いて、ミキサーでおかずと混ぜ崩して、口に入れてやるが、嚥下困難で半分は垂れ流す。いい加減やめようよ、栄養はチューブで十分足りているのだから。病人のためというより、あんたの自己満足のためなんじゃない。しかし、そんなひどいこと私だって言えない。総じて、人間は大半のことを自己満足のためにやっているのだから。息子は病人がどんな状態になっても諦めないで再度トライしようとする。根気は見上げたものだ。

 二日前の晩、娘は病人のベッド脇に座って、なんと本を読み聞かせている。あのシーンを見れば、私が何を言えようか。何度も言うが、この人はマリア様。私はといえば、たまに熱いタオルで顔を拭いたり髪をとかしたりするだけのいい加減さ。それも、これで見納めかと思いながらやっている。見納めになってもいいとも思っている。私は今日ここを出たら、後ろ髪引かれたりはしない。きちんと決別。そして、私の人生を生きなおすのだ。

 夕べはニックのために久しぶりにトンカツを作った。キャベツの千切りも上手にできた。添えは彼の好きな片めの炒めブロッコリーとガーリックライス。私だけ白ご飯、ニックが何故と聞くので、日本人の決まり、と説明する。みんな死に物狂いで食べていた。お味がよかったに違いない。9月末にはこのアパートの契約が切れるので、何が何でも出ることに決めて、娘は不動産屋にその意を伝えた。それで、私は捨てても気付かれないものを探し出してはこっそり大々的に捨てまくって、右腕が痛くなって、ご飯の箸が震えるくらい。

 暫くは戻らない覚悟なので、トイレットペーパーやティッシュやペーパータオルなど、かさばるものもしこたま買い溜め、シーツ交換洗濯、今も先刻まで着ていたものなど一切を洗濯中。くそ寒いイギリスの夏よ、さらば。このまま本当の夏が来ないで、冬に移行するのではないか。カラッともスッキリともしないこの天気こそ、私の今回の滞在を象徴している。何をしたという達成感もないまま、不燃焼の夏の気持ちを引きずって、帰ります。

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