●みなさん、長らくのご無沙汰でした。私はかなり重症の欝だったという気がしています。あの秋の大会の大成功のあとの脱力感にプラスして、一寸家族の中でいざこざがあり、これがかなり応えました。今までになかったことだったので。ちなみにイギリスの夫はまだ生きています。それで、筆が硬直したかのごとく、何も書けなくなっていましたが、昨日は「ハウスの報告」を勢いで書いて、少し書きムードを取り戻した感があります。
●11月3日(文化の日)に母校、京女での講演会。これも気が沈んだまま出かけたので、新幹線の中で「とにかく逃げられないのだから、やるしかない、しっかりして」と自分で自分を鼓舞して、京都駅。そして、タクシーで50年ぶりに東山の坂を登った。懐かしかった。深呼吸して、壇上に上る。「京都のみなさん、こんにちは!」私の特技は、最初にあいさつをすれば、一瞬で会場に溶け込んで、聴衆のみなさんの心の中に入ってしまうこと。
●感想文を紹介します:
「・・・ワットさんに実際のお姿に接してパワーをいただきたかったのですが、想像していた通り、いやそれ以上のワットオーラを感じ、うれしく思いました。・・・・学生時代、寮の規則を自分達で作ったお話やら、これをやりたいと思ってひたむきに進めば、道が拓けるということ、自分で決めて進んだ人生と何の悔いも残らぬほどの人と仕事に出会えたということなど、頭を上げて明快に、ご自分の来し方を語られるご様子に、潔さを感じて、そんな生き様にあこがれ、今からでもそうありたいと思いました。まさに「念ずれば、花ひらく」ですね。・・・
●この手紙をもらい、ホット胸をなでおろしたのでした。沈鬱な気持ちを引きずったまま出かけた講演会だったので自信がなかった。しかし、取りあえず、うまくできた!講演会のあとのランチパーティで、良家の奥さん風の人がきて「今日のお話、とても感動しました。でも私は自分の人生を振り返って、悔しくてならない、親の言う通りの結婚をして、ずっと我慢してきた・・・・」急に目覚めたのでしょう。「今からだって遅くはない、今から自分の思うように生きればいいのではない?」と言いましたが、どうするでしょう。
●会場にはあけぼの会京都支部会員が17人も来てくれていて、終了後は全員で京都駅の真横のビルに移動して、お茶とケーキ、そして、おしゃべり。京都で会員さんと会うのは久しぶり、始めて会う人が多かった。めいめいが簡単に自己紹介、中に再発治療中の人がいて、深刻な様子で胸が痛くなりました。またシリコン入れて両側再建した人が、皮膚が突っ張って、痛くて両腕も半分しか上に上がらない、という。日常生活にも支障が出ているでしょう。この病気には終わりがない。気の毒で、悲しくなった。
●秋の京都を散策するでもなく、日帰りしました。たまには全国の会員さんに会いに出かけるようにすればいいのに、最近はとんとしなくなった。鬱なんて、いやなんだけど、生きる目的がわからなくなって、魂が宙をさまよっている。でも、こんなのは贅沢病。「死んだ人が生きたかった分を生きているのです」というあの命の言葉を噛みしめ直さなければ。
ワット会長を囲んで京都支部の皆さん