●日本のみなさん、報告が遅くなりましたが、去る14日、快晴の土曜午後2時、予定通り、夫の西洋式葬儀が執り行われました。スコットランド・セント・コロンバス教会という厳粛なたたずまいの古い教会で、80数人の友人、親戚関係者が来てくれ、故人と正式にお別れをした。中には私が初めてイギリスに来た1968年に1,2回会って以来の人もいて、再会の感激のほうが大きかった。何度もお見舞いに来てくれて顔つなぎのある人も多かったので、お葬式の悲壮感や堅苦しさはなくて、リラックスした温和な雰囲気だった。
●教会は不慣れなのに、このたびはワット家が主催者、全員、最前列に座った。神父さんの開会のお言葉に始まり、夫の弟がまず挨拶をして、スコットランドの祖父が昔々作ったポエムを朗読した。続いて、友人代表、ジャンセン氏のスピーチ、あれこれ思い出話が出てきて、状景の中に故人の姿がありあり浮かびあがり、涙を誘った。ほのぼのとした内容だった。合間に讃美歌を歌うのだが、「式次第」には文字だけで、音符が付いていないので、さっぱり歌えなかった。どっちにしても讃美歌は高音過ぎて、音域が足りなくて歌えない。
●最後に息子と娘が壇上に上がった。息子は、6年の長い闘病の日々をサポートしてくれた人たちの名前を次々読み上げて、心からの謝意を捧げた。その中には医療側代表のナース・リズがいた。彼女は残念なことに、この日が自分の誕生日と重なってしまい、来られなかった。彼女がいかに親身に病人を支え、介護をする家族には常に的確なアドバイスをくれたことを、みなに知らせた。そして、私たちが借りていたマンションとケアホームに日替わりで通って、病人をじかに世話してくれたケアラーたちにも心底からの謝意を表した。
●それがなんと5人ものケアラーたちが来てくれたのだった。中の一人、ガーナ人のブーミーは結婚して、6ヶ月のボーイベビーがいて、ベビーカーごと教会に入ってきていた。かわいい黒人ベビー、名前がサムエル。夫が死んで、サムエルが生誕した、神の摂理。式進行の間は眠っていてくれて、誰も気付かなかった。ブーミーは、仕事で見ていた時と大違いで、華やかな色合いのロング2ピースドレスを着て、幸せに満ち満ちていた。思えば、私はあんな幸せ感をどこかへ置き忘れてきたのか、久しく感じていないことに気付いた。
●息子のスピーチの中に、母がこのたび、今日までのイギリス往復を数えてみたら、25回だった、自分たちを必死でサポートしてくれた、と言ってくれた。同居しているガールフレンド、アレちゃんにもどれだけ助けられたか、と堂々と謳いあげたのは立派だった。娘は追加の謝辞を述べた。二人の子供たちが段の上に並んでいる姿に、苦労だったはずの陰影はどこにもなく、ただ清清しく誇らしげだった。冬の暗い夜道をケアホームから歩いてバス停まで行き、なかなか来ないバスを待っていたあの日々は遠い幻になって消えていた。
●息子は「多くの人に、どうして、そこまで深く父親の世話が出来るのか、と聞かれたが、『父親が自分にしてくれたことを返しているだけ』と答えていた」とも言った。また父から受けついだ教訓を一言で言うなら、それは「Tolerance・寛容」だと思うと言った。誰もが故人を懐かしみ、故人こそが実は非常に寛容な人間だったことを想起したのではないか。とても感動的なセレモニーだったという声が、後日、何人かの参列者から寄せられている。