AKEBONO NEWS No2、No5に掲載された記事です
─これ以前のストーリーは会のHP「My Story」に2021/5/5 ~ 6/5 まで3 回に亘り連載されています。
簡単病歴:2020/3 月、39 歳、次男を妊娠中、出産前の母乳マッサージをしている時に右乳房の外側に小さなしこりを発見。4 月に出産、授乳、しこりが大きくなったので9/2 受診。9/9 診断結果、乳がん。9/25、手術。センチネルリンパ節に転移あり、腋窩リンパ節郭清。結果はⅡ B、腫瘍径4.9mm、リンパ節に1 個転移。ER(-)、PgR(-)、Her2(+)。核グレードは3、リンパ節への脈管侵襲あり、Ki67 は21%、悪性度が高いとのこと。治療方針は、抗癌剤AC(ドキソルビシン+エンドキサン)× 4 クール、抗癌剤+分子標的薬PTD(パージェタ+ハーセプチン+ドセタキセル)× 4 クール、分子標的薬PT(パージェタ+ハーセプチン)× 14 クール、その後最低5年のホルモン療法。9/12【あけぼの北海道】講演会初参加、入会。
新生活が始まりました(2022/9/19・報告)
2021/4 月、次男の保育園、長男の幼稚園入園、そして私の慣らし仕事が始まりました。次男の慣らし保育は、始めは2 時間程度で、私もそのくらいの勤務でしたので仕事は意外と大丈夫でした。でも勤務時間が長くなるにつれて、しんどさは感じるようになり、ちょっとした合間で休憩を取りながら仕事をしていました。
自分では元気なつもりでしたが、職場の人から見ると顔色が悪かったと、後になって聞きました。帰宅してからの家事や育児でへとへと、家事の残りは夫に任せて、子供たちと早寝して遅起きの毎日でした。
4/19、ドセタキセルが抜け、パージェタ+ハーセプチンのみ(PT 療法)の1 回目でした。午前中で終わるほど短時間になり、事前の採血や処方もなく、帰宅まで少し時間に余裕ができ、ランチや買い物をして帰ることができました。下痢は少しありましたが、気分が悪くはなりませんでした。
4/25、毎年4 月に行われている【あけぼの北海道】親睦会に初めて参加。コロナの影響か参加人数は少なかったようでしたが、代表の関川さんからは歓迎していただき、治療が始まってから初めて【あけぼの会】の皆さんとつながることができて、闘っているのは自分一人ではないことを再確認しました。14 クール予定のPT 療法は以前のような‘ だるさ’ はありませんが、下痢は続いていたので、ロペラミドや整腸剤を時々処方してもらいました。
患側の腱鞘炎と、まさかの骨転移??
7/17、次男の運動会。慣れない雰囲気のせいか会場到着時から機嫌が悪く、10 キロ近い次男をずっと抱っこしていました。手術していない側の左手で抱っこをすると、左鎖骨下のポートに頭をがんがんぶつけてくるので、本当はいけないとわかりつつも、手術をした側の右手でいつも抱っこをしていました。
しかしこのことが、今後長い間苦しむことになるとは思いもしませんでした。この日の長時間の抱っこ以来、右手首に激痛を感じるようになってしまった。でもきっとこれは腱鞘炎、そのうち治るだろうと高を括っていました。長男出産後も、慣れない育児で左手首が腱鞘炎になりましたが、数か月で治ったので。
7/18、次男と一緒に昼寝。この頃、次男は私のお腹の上に乗るのが安心するようで、この日もそうして寝ていました。いつもより激しめに乗っかってきていましたが私も眠くてそのまま寝落ちしていました。そして、目が覚めると右の肋骨が痛んで起き上がれず、咳やくしゃみ、深呼吸で激痛を感じました。きっと肋骨にひびが入ったのだろう、明日整形外科を受診したら、きっと、そう診断されるだろうと思いました。
7/19、整形外科を受診。腱鞘炎については、仕事柄ギプスを付けられないので、このままできるだけ安静にして様子を見ることにしました。肋骨については、レントゲンでは骨に異常なし。問診票には「右乳がんの治療中」であると記載したためか、通っている乳腺外科で診てもらってとのこと。えっ、単なる肋骨の外傷ではないの?もしかして、転移?との不安が沸き上がってきました。
7/20、乳腺外科に連絡。受診は次回の化学療法の日でよいとのこと。
7/22 ~ 2 泊で、前年も訪れた帯広へ家族旅行。肋骨と手首の痛みはありましたが、万が一、骨転移だったら暫く旅行に行けなくなるかもしれないとの思いでキャンセルせず決行しました。
8/2、予定通りの乳腺外科受診日。担当医に伝えると、患部を見ずにあっさり、「骨シンチしましょう」とのこと。
8/13、骨シンチ。痛みは徐々に良くなっていたが、咳やくしゃみではまだ痛んでいました。
8/23、PT7 回目、14 回の内、ようやく半分が終了。骨シンチの結果が聞けるはずが、出ておらず、次回までに放射線科で見てもらうようオーダー出します、とのこと。画像を見せてもらうと、ピンポイントで赤い像が。痛みはなくなってきていたので大丈夫ではないのか。でも、放射線科の正確な画像診断が出るまでは安心できない、モヤモヤの気分のまま。
骨シンチの結果は…? 今もわからないまま
9/13、PT ⑧、骨シンチの結果を再度聞いてみましたが、まだ出ずとのこと。さすがに腹が立って、担当医に愚痴りましたが、「ぶつけたのでしょ、良くなって来ているなら大丈夫だと思う」と言われました。なんやそれー!!!(結局、今日現在も結果はわかっていない)
10/11、腱鞘炎が全く改善せず、別の整形外科を受診しました。ステロイド注射をしてもらい、シーネ作製をして夜のみ装着するも全く改善せず。
10/25、PT ⑩、担当医に、腱鞘炎のことを伝えましたが、やはり手術は避けて温存的にと言われました。右手首はまだまだ痛い。
親しい後輩も乳がんだった
10/30、仲良くしていた後輩から久々の連絡があり、同じ病気で闘病中とのこと。彼女は私と同じ仕事をして、同じくらいの歳の子供も二人いる、私より4 つも年下のかわいい後輩です。抗癌剤の後、放射線治療も始まるので不安とのこと。放射線については、よくわからないけれど、これまでのことや不安な気持ちを話して、少しでも楽になってもらえればと思い、12 月の治療のあとにランチに行く約束をする。
11/22、病気になって以降、初の美容室。髪の毛は全体に生えてきましたが、トップはまだ短かったので、襟足だけすっきりカットしてもらいました。髪質は、もともとストレートだったのに生えてきた髪はチリチリ。しかも白髪が増えている! ムダ毛は黒々としっかり再生しているのに。
同日、また整形外科を受診。ステロイド注射の2 回目をしましたが痛みに変化なし。リンパ節郭清をしたため右手の手術ができないことで、早期に受診しなかったこと、乳がん検診を受けていなかったことなどが、再び、しみじみ悔やまれました。そして左鎖骨下のポートをかばうために右手で抱っこをした次男の運動会の日のことも悔やまれました。痛みは仕事にも支障が出ていました。
May God Bless You! の気持ちで
12/6、PT ⑫、治療後に後輩と約束のランチ。子連れでは決して行けないおしゃれなお店。たく
さん話をしてお互い涙を流しました。がんになって、当たり前の毎日がどんなに幸せなことか、
どれだけ周りの人に支えられて生きてきたかを気づけたこと。これからの人生において、がんに
なったことは決して無駄ではないこと。今できることをやっていくのみ、という考えは私も同じ
でした。キリスト教ではありませんがMay God Bless You! と気持ちで別れました。
12/20、整形受診。結局私の腱鞘炎は手術をしないと治らないタイプだったようでした。治療は
諦め、痛みと付き合っていくことしました。
12/29、毎年恒例の登別カルルス温泉に行きました。前回とは違い、子供たちと元気に、そり遊
びをして過ごせた年末でした。
化学療法最終回、ホルモン療法は必要?
2022 年1/17、いよいよPT ⑭化学療法最終回! 長かった! 担当医に今後の治療について確
認する。以前の治療方針では、術中の生検ではホルモン陰性と出ていたため、ホルモン療法はな
しとの説明を受けていました。
化学療法14 回終了、ホルモン療法は必要?
2022 年1 月、パージェタ+ハーセプチン14 回目の化学療法最終回、長かった!以前の治療方針では、術中の生検でホルモン陰性と出ていたため、ホルモン療法はなし、とのことでした。初期の針生検ではホルモン陽性だったので、今回の担当医に確認したところ、希望であれば、やっても良いが基本的には術中の生検で判断、とのことでした。「基本的には」が引っかかって質問したところ、そういう例はあるとのことでした。
万が一、再発した時に、あの時ホルモン療法をやっておけばよかった、という後悔をしたくないので、やったほうが?と迷いましたが、これによるホットフラッシュや骨密度の低下(アロマターゼ阻害剤の場合)などを考えた末、受けないことに決めました。抗がん剤開始辺りから生理が止まり、すでにホットフラッシュに苦しんでいて、加えて骨密度が下がるのが嫌だったので。
2/7 日、今後は苫小牧で定期検診を受けられることになり、紹介状をもらい、長かった札幌までの通院は終了となりました。二度と再び、ここに来ることがありませんようにと、雪の積もった道を歩きながら病院の建物を振り返りました。
ベリー・ショートヘアー・デビュー
2/9 日、苫小牧消化器外科を受診。血液、エコー、マンモグラフィー検査。2/15 日、ポート除去!
これも二度とお世話になりませんようにと、痛々しい傷口を見て祈りました。
この頃から外出時も仕事中でも帽子をかぶるのをやめ、ベリーショートデビューしました。引いた人もいたかもしれませんが、親友からは意外と好評でした。白髪交じりでチリチリ、でも、とてもすっきり。ホットフラッシュも気にならなくなってきました。
4/24 日、札幌の【あけぼの北海道】親睦会に参加しました。手の爪の剥がれや裂けに悩んでいたため、参加者の方からアドバイスをもらいました。会場は建物の4 階で、手が届くほどの満開の桜が窓から眺められました。花言葉は「精神の美」、まさに乳がんと闘っている私たちのよう、華々しく咲き、はかなく散る・・・
5/9 日、抗がん剤により、もう閉経していたと思っていた生理が再来。次男妊娠以来の3 年ぶりで、私の生殖機能はまだ現役ね、と少し若返ったような気になりました。
夫婦でコロナ感染
5/21 日、私に喉に違和感あり。毎日出かけていて疲れがたまっていたし、風邪の初期症状と信じていたところ、23 日朝に38.7 度をマーク。風邪ではめったに熱が出ることはないので、もしやと思い、ドライブスルーでPCR 検査と抗原検査を受けたところ、陽性と判明!そして、その4 日後に夫も発熱、陽性と判明!自宅療養期間と子どもたちの観察期間を含めて17 日間、一家4 人、自宅に引きこもって密な時間を過ごしました。
実家や義母からは絵本やおもちゃが送られて、買い物はママ友にお願いして、みんなに助けてもらいました。5 日間くらいは発熱と解熱を繰り返し、高熱の時は動けず、喉の強い痛みと咳もありましたが、幸い1 週間くらいで症状は落ち着きました。既往歴として乳がんを保健所に伝えていたため、発熱の続く間は毎日電話で確認が来ました。保健所や医師の方々のご苦労を思うと、本当に頭が下がる思いです。子供たちは二人とも元気いっぱいなのに外出できず退屈させてしまったこと、夫にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
6/8 日、ようやく夫婦揃って仕事再開、子どもたちも登園再開。いつもの生活が戻りました。何気ない日常が、本当は特別なんだ、とつくづく思いました。
生理で多量出血、貧血、そして手術
11/18 日、久しぶりの生理。今回は様子が違い、出血多量。以前、知り合いから、閉経の最後の生理はたくさん出血した、と聞いたので、これで遂に閉経か、と安易に考えていました。ところが、一向に止まる様子がなく、量も更に増え、高スペックのタンポンとナプキンを併用しても溢れる出る!
仕事もままならず、婦人科受診。幸い子宮や卵巣の病気は見つからなかったのですが、疲れやストレスからくる月経困難症で、子宮内膜が異常に厚くなっている、との診断。治療法として通常は、生理をコントロールするピルなどのホルモン剤を使用するのですが、乳がんの再発リスクを高めるため使用できず、子宮局所にのみ作用する黄体ホルモン徐放システム(ミレーナ、いわゆる避妊リング)を子宮に装着するとのこと。5 年間ホルモンが子宮内に徐放されることで、子宮内膜を薄く、生理を軽くして、子宮内膜症や子宮体がんのリスクを減らしてくれるそうで、次回ミレーナを挿入することになりました。
しかしその後も出血は一向に収まらず、抗がん剤治療時のような息切れと疲れやすさが出てきたため、12/5 日受診、ひどい貧血になっていたので、静脈麻酔下で子宮内膜掻把術を行いました。1週間は絶対安静で、子どもたちの園への送迎はファミリーサポートセンターに依頼しました。貧血治療のため、手術時を含め3 回にわたり鉄剤の点滴治療開始。12/12 日、ミレーナを装着。貧血は点滴治療と食事療法で、年内にようやく改善しました。
近況報告
その後も親子でインフルエンザにかかったりしましたが、普段は病気のことは、すっかり忘れていて、思い出すのは検診前と〈あけぼの会〉に参加するときぐらいです。
現在、マイホームを計画中!息子たちをもっと自由に遊ばせたい、子供部屋を作ってあげたい、食洗機を入れたい、ロフトを作りたい、和室を入れたい、家庭菜園やガーデニング、バーベキューをやりたい・・・夢を果てしなく膨らみます。予算も膨らみます(涙)。