AKEBONO NEWS No7に掲載された記事です

45 歳で手術
 2000 年3 月、左胸を北海道がんセンターで全摘手術しました。1 月に45 歳になったばかりでした。ちなみに私の誕生日は会長さんと同じ1 月18 日です。トリプルネガティブタイプ、CMF6 クール
で治療終了。

あけぼの会に入会
 2000 年秋、何の治療もないまま、不安は募るばかりの時、インターネットを検索して、あけぼの会に辿り着く。即入会。紫色のペンで書かれた会長さんからの「山本さん、ようこそ、あけぼの会へ」と書かれたカードが届いた時は、嬉しくて嬉しくて、お守りのように持ち歩いていました。

再建手術を
 2002 年4 月、聖マリアンナ医科大学病院で再建手術を受ける。シリコンではなく広背筋で。再建した事で少しずつ、乳がんの不安を忘れられる日が増えていきました。以来、がんに対する治療はないまま、14 年も経っていました。

原発卵巣がんが判明
 2016 年4 月、長い間、体調が思わしくなかったので、胃腸かな?と内科を受診したところ、エコーで腹水が溜まっていることと卵巣の腫れを指摘され、がんセンター婦人科を受診、原発卵巣がんが判明! 判明と同時に「5 年生存率は30%、再発率は70%」と告知されてしまいました。ご存じのように、卵巣がんは、症状が進むまで気づきにくく、受診したときには、かなり進行しているケースが多いのです。

抗がん剤治療開始、「人生で今日が一番辛い日!」
 乳がんから16 年、今度は卵巣がんだなんて、ダブルキャンサー!! 考える間もなく、抗がん剤治療開始。パクリタキセル&カルボプラチンを6 クール、パワーポート留置手術、翌日から投与が始まりました。何と言っても副作用が強烈できつくて、全身脱毛、骨髄抑制、味覚障害、手足の痺れ、関節痛と山盛りで、何度も逃げ出したいと思うほどでした。「人生で今日が一番辛い日!」一日一日をそう自分に言い聞かせて乗り切りました。

3 ヶ月毎の検診が憂鬱、再発の不安で
 2016 年11 月、完治を目指しステージングオペ(長期的再発予防)で卵巣、卵管、腹膜、大網、虫垂を全部切除、子宮は内膜症で切除済み、諸々で一通りの治療終了、これでやっと終わってホッとしたのはほんの束の間、3 ヶ月毎の検診に精神が囚われてしまい、検診が近づく度に、どうしても不安になって、憂鬱になるのが嫌でした。

肝臓転移が見つかる、初発より遥かにショック
 2018 年12 月、あんなに恐れていた再発! それも肝臓転移がCT 画像検査で見つかり、再発が確定しました。初発の告知より、遥かにショックでした。あの辛い治療を、また受けなくてはならない恐怖と、何より、完治出来なかったという決定的な事実を受け止めなければならないことがショックだった。
・そして、私と共に、治療の辛い気持を受け止め励ましてくれた夫に再発を伝えなければならない事が、やりきれなく切なかった。どんなにがっかりするだろう。「もう治療なんてしたくない、逃げたい」と気弱にもなりました。

再びの治療開始、あけぼの根性でやり抜く
 2019 年2 月、再発治療開始。パクリタキセル&カルボプラチン、更に追加でアバスチン20 クール投与。自称「ひたむきで積極的な私」は、それまでに鍛えられた〈あけぼの根性〉で何とか、やり抜きました。
・何度も繰り返す抗がん剤で髪の毛は半分も戻らず、今も地肌はスカスカ、鏡に映る自分
を見るのが一番嫌イヤ。心底、がんなんかになりたくなかった。「なった事に意味がある」
なんて、こじつける気持ちなど全くない。

命は有限、23 年間の友を亡くす
 ただ、命は有限であるという事、人生は長くはない事、だから、丁寧に生きなければ勿体ないことを考えるきっかけになった、と思う。
・私が気弱になったとき、親身に寄り添ってくれ、生き様を見せてくれた同士との出遭い、
その彼女が長い闘病の末、昨年亡くなり、永遠の別れとなってしまった。悲しくて、さみ
しい。でも、私の人生のかけがえのない宝物になったと思う。

身体の治療は病院で心の治療はあけぼの会で
 これからも辛いこと悲しいことがあるでしょう。でも私は胸張って生きて行きたい、診察室のドアも堂々と胸張ってノックしたいと思います。

追記1 北海道卵巣がん患者会 HOC(北海道オベリアンキャンサー)を立ち上げる
 院内のサロンがきっかけとなり、北海道卵巣がん患者会、通称HOC(北海道Ovarian Cancer)が立ち上がりました。それも【あけぼの会】に入っていたからこそ、患者会の必要性を感じ、そのノウハウも見知っていたからこそ実現出来たと思っています。会長さんに感謝!

追記2 「あけぼのニュースNo6」の木村さんの闘病記と、思えば、同じ流れでした。
 彼女は、それでも昨年の記念大会でカメラマン、写真を沢山撮って、みなを喜ばせてくれた、このことに感謝したいのです。木村さんは私の闘病の見本です。

追記3 直接顔を見て声を聞ける患者会が必要で大事
 私は、札幌から汽車で2 時間の新得町という街に、夫と犬一匹と暮らしています。
 昨年10 月15 日、札幌での【あけぼの北海道】35 周年大会に参加して来ました。今はSNS などから、どんな情報でも得られる時代ですが、それでは真の安心は得られない。直接顔を見て声を聞ける患者会が必要で大事なのだと、帰りの汽車の中で改めて感じました。