コロナからの解放1日目in ロンドン<br>孫のリラと(地下鉄の入り口で)<br>(2023/6/9 朝10:30  Sandy)コロナからの解放1日目in ロンドン
孫のリラと(地下鉄の入り口で)
(2023/6/9 朝10:30 Sandy)
日本のみなさん、こんにちは!

💛心配かけましたが、昨日6日、午後4:30に無事ロンドンのヒースロー空港に到着、迎えの息子も待っていてくれて、1時間以上ドライブで疲れましたが、この家に辿り着きました。乗ってから気付いたのですが、フライト時間が普通なら12時間半なのに、今回はロシア上空を敬遠するので14時間半、座る前から腰が抜けました。しかし、幸い(日ごろの行いが良いから)3人席の真ん中に人が来なくてラッキー、その分ゆったり感あり、でした。

💛もうご存じと思いますが、国際線だけ、窓側と通路側の席は余分に片道2500円、席料を取られる、新システム。エアラインもコロナ損益を取り戻すのに、あの手この手で必死、ラウンジに読み物の一つもなかった(以前は新聞各紙、週刊誌とかあった)朝7時半に羽田に着いたんですが、空港内は人がいっぱい、別世界、誰もが海外行きを始めて止められない。娘がいたので助かったけど、荷物もチェックインもみな自動。機械は私、出来ません。

💛ここからがみなさん、一度聞いただけでは信じられないお話ですよ。3人席の窓側に私が、通路側にはヤングの日本人女性が座って、私のリュックを上の棚に入れてくれたり、とても親切な人でホッ、だったんですが、ロンドンに30年以上住んでいて、日本にいる両親もおばあさんも健在、祖母は93歳、まだ自転車を乗り回しているとか。その話を聞いて、10歳も若い私は負けてしまって、健康自慢の話ができなくなった。

💛そこで、私はまだ現役で仕事をしていて、(ここで口に手を当てて小声で)ニューガンの患者会、とまで言ったら、顔が変わった。彼女が今回5日間の帰国の理由がなんと、叔母さんが乳がんで亡くなって、そのお葬式のためだったという。叔母さんはまだ63歳だった。彼女は、日本でサポートグループを探したり、マギーハウスへ行ったりしたけど、これが英国のマギーとは違って失望した。癌研や聖路加の名前も出たが、助けにはならなったようだ。

💛そして、ただのヤングだと思っていたこの人、なんと肺専門のドクターだった。だから、叔母の乳がんも遠くから医学的にはサポートしていた。ただ肝心の精神的サポートが得られなかった。しかし、なぜ、「あけぼの会」にリーチできなかったのだろう?不思議だが、外国からだったからか、私たちも英語対応を始めなければならない。英国では緩和ケアの相談がいつでもできるマギーズコーナー(って言ったか)が各病院にあって、院内で相談できる。到着前にいろいろ教えてくれそうになったので、後日再会してほしいと頼んで別れた。

💛最近、私は乗り物の中で、いろんな人に出会いますね、運命の糸が導いてくれるのです。

 そして、私のコロナ、あんなに心配した咳も機内では殆ど出なくて、この家に来てからも減って、忘れている。代わりに時差が始まって、今、夜中の1時(日本は朝9時)、さっきラーメンとご飯とクロワッサンを食べるという無茶苦茶ライフが始まっています。でも明日はキャロリンとランチで5年ぶりの再会を喜ぶ。大英帝国、私を覚えていますよね?

――日本のみなさん、メールをください。              takakowatt@gmail.com

(文章は7日に書いたんですが、写真を撮ってもらったのが9日で、遅くなりました)