●薄暗い朝の10時にミニキャブで一人ヒースローへ向かい、今回は全日空ではなくVirgin航空に乗りました。というのも、プレミアムシート(エコノミーより席が広い)の値段がANAのエコノミーにわずか10ポンドも足せばいいことがわかったから、楽なほうを選んだ。それがこの航空会社は親族の不幸であればフライトを変更しても無料、とわかり、死亡届をfaxで送って、帰国を再変更し、20日発にした。とにかく一日も早く日本に帰って、体調を取り戻したい気持ちだった。空港まで車から眺める景色、私はもう暫くは戻らない。

●4月14日(土)に大きな教会で正式なセレモニーをすることまで決めた。喪主って私なのかなあ。とにかく子供達が全部考えてくれるので、私はそこにいるだけ。ニューヨークから4月のセレモニーに出席したい、と言ってきた人が既にいる。大きなミサになるだろう。

子供達が老いた私が一人空港へ向かうのを案じて、何も用がないから見送りに行く、と言って聞かなかったが、私は一人になりたいのよ、と突っぱねた。これ以上、親のために自分達の時間を使うことはやめて、どうか、これからは自分のためだけに生きておくれ。

●成田も雨で冷たかった。空も歓迎してくれない。成田エクスプレスが出るまで半時間あったので、スターバックスへ入る。売店で新聞と紫蘇おにぎりを一つ買った。切符を自動販売機で買っていたら、外国青年が「新宿まで行きたい、どうやって買うのか」と4000円渡したので、買って、お釣りをあげた。実は私も買い方をどうにか覚えたところだった。タッチ式だが、どれをタッチするのか日本語がわかりにくい。電車の中で、彼が真後ろの席にいたので、おにぎりを半分に切ってあげた。タイから来た青年で、かわいかった。

●お葬式に私達が乗ったベンツには運転席と後部に仕切りガラスがあった。運転手のイギリス青年は風邪らしく、咳ばかりしていたのが気になっていたたまれなかった。それで降りたときに、外から窓を叩いて、のど飴を見せた。彼は窓を開けて、サンキュウと飴を受け取った。私って、こんなときにもこんなことをする性格、単なるお節介オバサン。

●家に着くと、郵便受けにロンドンから頼んであった薬の封筒が入っていた。うれしかった。これで治る。すぐに開封して、何でも一式のんだ。ありがとう。老猫のキティが生きて待っていてくれた。シンピジュームも咲いているではないか。蕾を持った茎が数えると7本もある。やっと歓迎ムード、今夜から自分のベッドで眠れる。電気毛布もある。しかし、日本も寒い国だったのを忘れていた。夫の日本の友人達に次々電話で訃報を知らせる。みなが私を気遣って、長い間大変だったわね、と慰めてくれるので、このとき始めて泣いた。

●さて、これからは仕事、ここ1年、会長をやめることだけを真剣に考えていたのだが、こうなると何故か、やる気が湧いてくる。きっと夫が後押ししてくれているのだろう。乳がんね、私の天職。「ワットといえば乳がん」が日本国民の合言葉にならないものか、どうせやるなら、大きく広く、そして、徹底させなければ。34年も同じことをしてきて、まだそうなっていないことがおかしい。何かが足りないのだ。会長さん、それを考えて。

●夫は逝った。人は死して名を残す、もう少しだけ待っていてくれたまえ。6年もの長い年月、娘と息子が父親に捧げ尽くした愛と名誉のためにも、ここで物語を終わらせられない。

Mailto
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