●日本のみなさん、新年明けましておめでとうございます。

ご家族おそろいでハッピーなお正月をお過ごしでしたでしょうか。こちらでは例年よりあたたかい冬で助かっていたのですが、ここ2,3日は本格的な寒さ、想定外の風邪を引いてしまって、咳と喉痛で参っています。新年のおめでたいこのときに、縁起でもない知らせを送ることになりました。夫がいよいよ最後の瞬間を迎えるべく、そちらの方向に歩みを始めました。昨日(5日)から24時間絶え間なくモルヒネを流し始めて、痛みからの解放にのみに切り替えました。

●物が言えないので、尿を出すたびに激痛があるのを、目を大きく見開いて、体を突っ張って、唸って訴えるので、それを見ている娘が、かわいそうだから何とかしてあげて、と代わりに泣いていた。彼女が休暇でバンコクから来たときだけ、完全に自由になれる息子は、暮れの29日から日本に行って羽根を伸ばしている最中。しかし、4日の夜にはホーム(夫は3年前から老人ホームへ入っている)のナースが、病院に連れて行って、痛みの処置をしてもらうべきだと言って、救急車を呼んでくれたので、娘と二人でいつものRoyal Free Hospital へ向かった。冷たい雨が担架に上向きになっている夫の顔に容赦なく落ちる。

●救急受付は超満員で12くらいある個室はふさがっていて、私たちは廊下の隅で立ったまま、ドクターが来て、処置をするのか、このまま入院になるのか、順番を待っていた。咳込んでいる年老いた母親を見かねて「帰ってもいいよ」と許可をくれたので、帰ることにした。二人で付き添っていても順番が早くなる保証はない。真っ暗な夜道をバス停まで歩きながら、3年前の冬、病人が一度死にかけて、この同じ病院へ入院、毎日昼夜、同じ道をとぼとぼ通ったのを思い出していた。今回は本当に死ぬ、冷たい冬の中で死ぬ。

●2時間待たされて、夫は結局何の処置も施されずにホームへ送り返された。若くて押しの強いドクターに、いつまでこのような無駄を繰り返すつもりか、本人のリビングウイルは何だったのか、と聞かれて、娘はやむなく「無用な処置はしないでほしい」だったと答えると、それなら、何もしないのが病人の意思を尊重することになると言い放った。娘も納得、とにかく痛みを取ってもらえさえすればいいと、ここは折れた。英国人はすごい、日本人ドクターは、こうは一刀独断できないのではないか、敵ながらあっぱれと感心した。

●とにかく、夕べ、娘は一晩付きっ切りで看病したので、差し入れの夕食を運んだ。メニューはチキンのガーリック焼き、ミニポテト(茹でてから塩・バターでからめる)それにマッシュルーム、キャベツ、セロリ、ニンジン、ブロッコリーの色彩豊かな野菜炒め(こんな状況下に食べ物の詳細を書くなんて)。息子は予定を早めて帰国の途に着いている。あと8時間ほどでヒースロー着。問題は、娘と孫は明日の飛行機でバンコクへ帰るチケットを持っている。孫は学校が始まる。私も変更不可の切符を片道またパアにするだろう。

●娘はできるなら、孫を一旦連れ帰って、また戻りたいのだが、病人がどのくらい持つのかによる。誰もそれがわからない。ワット家一同、持てる知恵と力を寄せ合って乗り越える危機のとき、私は喉が痛くて頭が重くて、歯がゆい。それでもできるだけみんなの役に立つよう、邪魔にならないよう、落ち着いて賢く、妻と母親と祖母役をこなさなければ。

Mailto
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