●またまたドキッとするタイトルで驚かせていますが、昨日ドクターが来て、いつもの問題であるキャセター(尿を流す管)の交換をしたら、病人が生き返ってしまった。救急車で病院に行ったあの夜も、娘はすぐに交換をしてほしいと訴えたのに、問題はそれではない、と相手にしてくれなかったのだった。人々が「ドクター・ジェニー」と呼んでいたことを覚えておられるだろうか。娘は医師になるべきだった。彼女は孫と昨日のフライトで一先ずバンコクへ戻った。孫は9歳、学校を休ませるわけには行かない。

●今回感じたことだが、ホームのナースたち、ヘルパーたちが、以前に増して、親身に夫のことを気遣ってくれている。2009年9月から入所して長い上に、他の入所者と違って手がかかる。子供たちが間断なく厳しい注文をつけている。当初から夫を診ているナース・マーガレットは今は息子を偉いと褒めてくれているそうだ。始めは、みんな一生懸命やっているのに、それでも彼はまだ不十分だと苦言を呈している、と彼を鬱陶しく思っていた。父親を自分が守るのだという強い決意、深い愛を、ようやくわかってもらえたのだろう。

●先日の救急車騒動も、実は二人のナースがしきりに病院に連れて行くべきだ、痛みを解決してもらえば、すぐにここへ戻れるのだから、と心を込めて説得するので、そうすることに決めたのだった。実は夫は11月にもこの問題で病院に連れて行かれ、即刻入院で丸10日間入院した。全体を考えれば、こんな病人はもういい加減放っておきたいような精神的限界に来ているのに、なお、ケアの手をゆるめない。救急外来のスタッフ(医師も含めて)の数を見たとき、このすべてを税金でまかなっているこの国の医療制度に脱帽した。

●やっと病人を静かに見送る時到来を覚悟したのに、また息を吹き返してもらって当惑している。しかし、明日月曜日にナース・リズが息子と私に重大なる最終確認をすることになっている。「食事(胃ロウからの)と水を完全に絶つか」という決断を迫られるのだ。娘はこれ以上の苦痛はかわいそう過ぎるので、絶つことに同意して去っている。夕べ遅くまで息子と二人、命の難題を話し合った。心が振り子のように揺れ惑う。でも今、その時が来たのだ。私たちも納得するしかないだろう、娘と同じ結論を伝えることにした。

●1月5日付けの新聞「デイリーテレグラフ」と「タイムス」にターミナル患者の「Assisted Suicide」「Assisted Dying」(日本語で自殺幇助?) を合法化すべき、という記事が載った。直訳「医師は患者が自分たちを殺すのを補助すべきだ」という大きな見出し。他人事ではないので必死に読む。この国ではまだ違法なので、希望者はスイスの「Dignitas」(Dignityのもじり?)センターに行く人が多い。昨年6月にBBCテレビがそのセンターまで行って安楽死した人のドキュメンタリーを流したのがこの永遠のテーマに拍車をかけたらしい。

●日本から応援メールが届いている。とてもうれしい。ありがとう、みなさん、「今まで読み逃げしていたんですが・・・」石榑(いしぐれ)さん、久しぶりですね、「読み逃げ」は言い得て妙、初めて知りましたよ、今はお一人ずつ返事が書けないので、まとめての報告です、私にしっかり付いてきてね。他にも読み逃げしている人が多々いるんじゃない?わかっていますよ、そろそろcoming-out?あなたの愛は黙っていてはわからない。ことばで伝えて。

Mailto
akebonok@d9.dion.ne.jp

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