昨日は英国鉄道に乗って、ミヨコさんの家まで行ってきた。私が今ホッとできる空間があるとすれば彼女の家のキッチン位かもしれない。いつもランチをご馳走になる。だから汽車が面倒くさくても、大げさに言えば、魂を救うために出かけていく。汽車はチャーリングクロス駅が始発、最近はその次のウォータールー・イースト駅から乗車する。地下鉄から乗り換えができるので。車窓から眺める紅葉の美しさに、ここでもため息。思うに、家から世田谷公園に行く途中の通りの両側の銀杏並木も黄金色に輝いているだろう。

 今日金曜日は、ホームでまた魚フライ定食を食べた。ここのランチが今や私の唯一栄養供給源。それと、人の面倒見るだけでなく、面倒見てもらっている幸せ感もある。マーガレットがフライにトマトケチャップを付けないのかと聞く。「きらいなのよ」「ああ、日本にはケチャップなんてないんだ」「えっ、ケニヤにケチャップなんかあるの?」「オブコース、ケニヤには何でもある、魚も肉もケチャップもある、知らなかったの、私たちは食べるのよ」と激しい。ケニアは飢餓の国、という世界の(私の)偏見に反発しているのだ。

 それにしても毎日‘ただめし’は気が引けるので、手伝いを買って出た。すると、3時のお茶の時間にきてと言うので、きっかりに行くと、黒いニイチャンが一人で大きなステンレスジャーに紅茶とコーヒーを大量に作っていて、私はカップに注ぐ役。カップに先にミルクを入れてからティーを注ぐのが英国式なのだが、ミルクの加減がむずかしい。それも2リットル入りのプラスティック牛乳びんから、小さなカップに適量ずつ入れる。でも難題は天才的にこなす私、泰然自若、少しもひるまない。ビスケットを2枚ずつ添える。

 TVルームの椅子は長期入居者の定位置があって、そこへティーを配っていく。みなが新米ウエイトレスにびっくりするが、実はもう顔なじみなので、ニコニコ喜んでくれる。私にもユニフォームを貸してくれれば、すぐにも正式スタッフなんだけど。スタッフはアフリカ人とフィリッピン人に絞られて、イギリス人なんか一人もいない。脳梗塞を2回して半身不自由老女の名はバーバラで、私より三つも若かった。この人が終日どんなにうるさいか、緊急ベルを押しても絶叫しても完全無視されているので、終いには唸っている。

 ホームの全景は一言で言えば沈うつ、気が滅入る。私が来た最初の1週間に二人も死んだ。90を超えた人たちだったから、まあいいとしても、問題は、死を待つだけの人が多いこと。それが施設の目的なのだが、ベッドで一日、丸まったまま動かないような人もいて、生きるムクロ。病死もイヤだが、自然死も良かれ悪しかれだ。あの南田洋子さんが遂に亡くなったそうで、ご本人にはよかったのではなかろうか。中条ふみ子の歌の中に「生きておのれの無惨を見るか」という強烈な一節があった。「おのれの無惨」なんて、怖すぎる。

 夫の病気を通してこの4年、いろいろ世の末を見てきた気がする。私はどんな形で死ぬのだろうか。最近は疲れると、眠ったまま起きなくてもいいと投げやりになる。そこへ突然あの79歳のクリントイーストウッドがこの国で新しい映画を作るというではないか。彼の年まであと10年もある。10年あれば、あと一花咲かせられる。チャレンジかなあ。

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