今回の滞在は3週間と普段より短く、着いた時は、日本でしっかり休養したあとだったので、スイスイと行くはずだった。ところが現実はその反対で、ずっと気が重く憂鬱な日々だった。というのも、日本でこれから一大難題が待っていて、その準備が予想したようにはうまく行っていない様子なのだ。様子が実際には見えないのだから、余計気を揉むことになる。5月10日の母の日イベントの最終準備と新聞広告の作成。当日全国で‘母の日キャンペーン’も実施するが、これはスタッフがきちんと進めてくれているので心配ない。

 広告は原案がPDFで送られてきて、それにチェックを入れて送り返す。戻って来たら、更にチェックを入れて送り返す。実際にはPDFにはチェックが入れられないから、いちいち言葉で書き述べることになる。直し1、直し2、というように。ここに微妙な誤解が生まれる。「そうではない、こうなのよ」と叫びながら送り返す。なんという手間、イライラカリカリする。とにかく締め切りが迫っているので、私の帰国を待たずに、新聞社に送り込むのだが、実は未完成。今日しかないというのに、あと一往復しないと完成しない。

 母の日イベントは有楽町の朝日ホールで開催する(詳細はホームページをご参照ください)。この参加者がまだまだ少なくて、このままだと会場の半分にも満たない数なのだ。あけぼの会は創業以来そんな不入りで行事をした事がない。おおよそ満員御礼の札が出る。これから連休に入るので、どこでどう宣伝すればいいものか、途方に暮れている。鏡で顔を見れば、心労でやつれ果てて、誰の顔かと思ってしまう。自分の楽しみだけを追求して生きていきたい。町を歩けば、幸せそうな人間が一杯いる。ああいう人になりたいのに。

 正直、このままヨーロッパに隠れていたい。しかし、私が逃げ出すわけには行かないではないか。しっかりして、会長さん、いつもの口癖「物事はなるようにしかならないのだから」を唱えよう。ここは腹をくくって、出たとこ勝負でいこう。そうでもしないと、頭が八割れそうになる(これって、ぶち割れる、が正しのだろうか)意味はわかるでしょ。

 昨年は創立30周年記念行事と夫の病気とが重く重なって、どうやってすべてをこなしたか、思い出しても疲れる。とにかく、しんどかった。だから今年1年はゆっくりさせてもらうと宣言したのに、どっこい、もっと疲れている。あけぼの会が米国のファイザー財団から助成金と称して、巨額金を賜った。が、使い道も限られていて、しかも実績を挙げて見せなければならない。今年が2年目。自由にならないお金なんかほしくなかったのにね。貧乏でも、意のまま、自由闊達に動けた時代が懐かしい、と会う人ごとに愚痴っている。

 おまけにこちらの病人は進歩も悪化もない平坦な病状で終日ベッドに横たわっている。夕方一回起こして車椅子でリビングへ連れて出ても首を深く垂れたまま、テレビも見なくなった。意思の疎通もなくなって久しい。夕べ「また日本に行ってしまうけど7月には戻るからね」と告げると、目を大きく開いて、じっと私の顔を見つめる。何か言いたそうだが、面倒くさいので、気付かぬ振りをする。この人がALSなんかにならなくて、今もし元気だったら、なんて一瞬想像してみる。私の精神が行き場を失くして遊泳している。