松山城の紅梅(撮影:Sandy Watt)松山城の紅梅(撮影:Sandy Watt)みなさん、こんにちは!お元気?最近、乳がんのこと考えなくなってしまった。私はそれでいいんですが、目下治療中の人は大変ですよね。一番困るのは、いくら治療を続けても快方に向かっているのか実感がないときでしょう。それを訴えても、医師は納得のいく返事をしない。しようがないから。でも治療をしないわけにはいかない、仕方なく続ける。がんって卑怯な病気、正体を簡単に現わさないで、くすぶり続ける。どうか、いつの日か、ではなく、一日も早く、患者の肉体的精神的苦痛を取り除く療法を見つけてほしい。 

東京も昨日辺りから底冷えの寒さ、布団に顔を入れて寝ていた。昔、佐渡の田舎家で寒かった冬の朝を思い出す。炭を熾(おこ)して(赤くして)、コタツに入れて、コタツを作るのは子供の役目、どんなに寒かったか。台所の床は板張りで板と板の間から寒風隙間風が入り込んでいた。それでも、このころが懐かしい、テレビはない時代、ラジオが楽しみ。私のおじいちゃんが私にNHKニュースを聞かせて、何でも覚えさせた。たとえば、時の総理大臣、他の大臣の名前も全部。だから、小学校の時、生徒にラジオを聴かせて、そのあと、先生が質問しても何でも答えられた。私の記憶力は、おじいちゃんのおかげだと思っている。

冬、寒い、と言えば、昨日1月12日は夫の命日だった。2012年1月12日夕方、それまでお世話になっていたホームで息を引き取った。息子だけがその場にいて、私はその時、疲れて、マンションで寝ていて、電話で起こされた。寒い暗い道をバスでホームに向かった。その4日前に専属ナースが私たちに確認して、夫のサポートシステムを切ることに決めてあったので、覚悟は出来ていたのだが、実際死んでしまった顔を見たら、もっと生かせてあげられたのに、と深い悔いが私の心臓をよぎった。あの年、ロンドンは格別に寒い冬だった。昨日は大きな白百合を買って、夜、夫の好きな曲のCDをかけて、哀悼した。

今日の一首: パン投げるわれとも遊べ今朝もまた中の一羽を亡夫と決める
                                                                                                                        (「毎日新聞歌壇」に掲載された一首 )

昨日は、たまたま月一回の短歌教室の日でもあった。毎日新聞社の「毎日文化センター」に通っている。
 (月2回のイタリア語教室も同じところ)

                           ワット takakowatt@gmail.com

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