●先回、温泉、「大半が顔なじみの会員さんたちだった」と報告した。だから再会を懐かしみ、和やかな1泊旅行だった。と、ここまではいいのだが、私の中では複雑な煩悶があった。「がん患者会は温泉愛好会ではない」3、40年も前なら、乳がんなら、みな全摘と決まっていたので、手術をしていない人と大風呂に入るのは、かなりの抵抗があった。だから、あけぼの会では他のお客の風呂開始の2時間前、12:00~14:00までを貸切りで会員だけにしてもらった。これが好評で、遠路でも大勢が参加、毎回参加と決めている人もいた。
●しかし、今は違う。参加者が激減して久しいのだ。その理由の一つに温存手術の普及があると思われる。外観がそう変わらないので、他の人と一緒でも余り目立たない。また、患者の感覚も変わってきていて、少しくらいわかっても平気、という悠長さが感じられる。そして、一般人の見方も変わってきている。乳がんの知識があり、手術のことも知っているので、見てもそう驚かない、ように見える。それともう一つ、今の若い人たちは知らない人と裸で風呂に入ったり、同じ部屋で寝泊りするなんてイヤなのではなかろうか?
●患者会は社会に必要とされる集まりでなくてはならない、といつも思っている。だから、身内で温泉に入って、団欒して、ご馳走食べるなんて、お遊びではないか。いまの時勢に合わない旧態依然ではないのか。これが私の煩悶。ただ、みながみな、がん卒業生ではなくて、中に深刻な闘病中の患者もいる。そういう人には一瞬の解放、安らぎになっていることも確かなので、一概に無意味とも言えない。患者会はそんな人たちのためにあってもおかしくないからだ。大仰に言うなら、いつどうなるかわからない人だっていたりする。
●東京の集まりにも術後まだ数ヶ月という人がいて、毎回来て、とても勇気付けられると言う。「みなが明るいから」だそうだ。意識しているわけではないが、あけぼの会は暗くはない。再発闘病中の人にも驚かされる。脳転移までした林さんという会員はニコニコして、「会長さん、どうぞ」といつも私の面倒を見てくれる。逆なのに。とにかく、みながやさしい。思いやりの精神に私が感動している。やはり温泉旅行も含めて、患者会は「困っている人のため」の原則を忘れないなら、続けてもいい、続けなければいけない、という結論で、今日の煩悶は一時休止しようと思うが、いかがなものだろう? ワット takakowatt@gmail.com
補足:
本日の〈あけぼのハウスやまぐち〉では、2度目の参加者2名が入会されました。お2人とも厳しい治療を継続中ですが、「ここに来て気持ちが救われました」と笑顔で語られていて、私たちも嬉しくなりました(和崎)
●緊急お知らせ!! 7月12日の「患者セッション」ほぼ定員に達しています。定員(170)になり次第、締め切りさせていただきますので、この非情、ご容赦ください。
今日の一首:お休みします→浮かんでこないスミマセン(これは句ではありません)
※生田緑地(いくたりょくち):神奈川県川崎市多摩区枡形、東生田、長尾、および宮前区初山にある都市公園(総合公園)
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