真夏の陽気は私を歓迎してくれる1週間だけだった。その後は寒くてぶるぶる震える日が続いている。陽が照っているのに、突如にわか雨、それも斜めに土砂降り、時には雷も鳴って大空が一転真っ黒になる。するとまた晴れる。私が来る前には雹も降ったという。日本からはみなが異口同音、梅雨のじめじめ蒸し蒸しの不快感を知らせてくる。あれもかなわない。我が家の病人は相変わらずパッとせず、家の中もどんより変化なく、身の置き場もなく、夢も希望もなく、腐りきっている私の泣き面に蜂が刺さった。
財布を失くしてしまったのだ。昨日の朝、孫を久しぶりに学校までバスで連れて行って帰りに近所のコンビニでミルク、卵、新聞、クロワッサンをピックアップして、いざ払わんとしたら、ないではないの、あるはずの赤い財布が。突如消えてしまった。家を出る時に確かめなかったから、きっと家に忘れて来たんだろう、とかすかな望みを抱きつつ帰るが、案じたとおり、家にもなかった。さて、いつ、どこで?1昨日午後、スーパーへ寄って現金で16ポンド52ペンス払って、地下鉄の駅の出店でぶどうを買って1ポンド払った。
そこからは買い物ビニール袋を両手に提げて、財布を入れた(はずの)ショルダーを肩から斜め掛けして、ひたすら下り坂を降りてきただけ、どこでも失くしようがない。しかし、そんな独り言はなんの役にも立たない。娘に頼んでビザカードにストップを掛けてもらう。うっかり記録も取ってなかった。銀行はと聞かれて、三菱だったか三井だったか三つが付いたんだけど、というあいまいさ。夫は生前、まだ生きています、何でもコピーを取っていた。私も一度痛い目に遭っているのに、このルーズさで、娘に対して恥ずかしい。
最後に使ったのはいつ、と聞かれて思い出すのに3分はかかった。物を失くしたりするのもボケの始まりなんだ。何か聞かれても、さっと思い出せないのがいい証拠。これからは最低限度要るものだけを持って出かけるようにするか。いつもなら日本でしか使わないカードは置いてくるのに今回はみな入れたまま、健康保険証、住基ネットカード、イオカード、など。間もなく、カードをキャンセルいたしました、の通報が入る。それでも使われてしまったのではないかと、心配が止まらず、被害妄想の中をさまよっている。
おまけに、同じ日の午後、バスに30分閉じ込められてしまった。フィンチレー通りに交通事故があって一時封鎖、私のバスは途中でルート変更して、通りを曲がらずにまっすぐ走って、比較的家の近くのバス停に止まったので、どうにか帰れた。何か一つ位いい事はないか、と明るい光を請い願っていたらこの連続惨事、生きる希望も失くしてしまった。
病人を受け容れてくれそうな施設を娘と見に行ってきた。中庭があって敷地は広いのだが個室が狭かった。そして今朝は息子も一緒に別の施設を見てきた。今度は部屋の広さは十分だが空きが全くない。無料の施設に入れてもらおうとすると空きがないのが常。しかし、我が家の財政事情は厳しくて、家賃も心もとなくなってきている。病人をどこにでも引き取ってもらって、この生活に終止符を打たなければならない時がそこまで来ている。