日本のみなさん、こんにちは。長い間、実に長い間、ご無沙汰いたしました。私の近況報告が出てこないので、ずっとイギリスには行っていないらしい、という噂が飛び交っています。その通り、7月末に帰国して以来、約4ヶ月通しで日本にいます。これは過去5年間の国内継続滞在最長記録。例年なら10月の乳がん月間を終えるとすぐに成田空港、というパターンだったのが、今年はそのリズムを崩したので、体調異変を起こしています。人間の体は「慣れ」。11月ひと月を持て余し気味、やる気のない感じで見送りました。

 夫はまだ生きています。昨日、ロンドンの息子と話したのですが、今までに尿管トラブルで2,3回救急車で病院へ運ばれ、処置をしてもらい、またホームへ戻る、という緊急事変はあったものの、押しなべて悪いまま平穏状態だという。娘が8月末からバンコクの職場へ戻ったので、息子とフィリッピン娘のリリオの二人だけで夜の面倒を見ている。少しでも問題が起きるとすぐに娘に訴えメールが行くので、娘も心配で矢も楯もたまらず、11月頭に遂に実態検分にイギリスへ飛んで行った。貴重な休みの日を使い果たしてしまった。

 息子も娘が一番の頼り(私たちはドクター・ジェニーと呼んでいた)、娘も5年近く間近で見ていた父親が心配、悲鳴を上げているブラザーをほっとけない。ホームシックもあって、飛んで行ってしまった。簡単に行き来できる距離ではないので、危篤でもない限り、人に任せるしかないと言いたいのだが、私が日本にいてはそれを言う資格はない。娘と孫がいなくなって、息子はイタリア人のかわいいガールフレンドと住んでいます。とてもうれしい。私のお株取られてしまって、これが一つの理由でイギリスへ行けなかった。

 あと一つの理由は既にみなさんご存知のように、副会長の富樫さんの再発が判明、入院手術があって、私が事務局を空けることが出来なかった。スタッフのみなが心細くなるので、思いとどまったのです。それくらい富樫さんの存在は大きく、いなくなってありがたみが良く分かる人のいい例でした。卵巣子宮全摘出手術を無事終えて、目下自宅でリハビリ中、術後2日目にお見舞いに行ったときは正真正銘の病人で見るに耐えなかったのに、この木曜に顔を見せたときはすっかり本調子で、一日も早く戻って働くぞムードでした。不死身、何でも来い、の富樫さんの復帰祝いランチパーティは12月12日(日)です。

 そして、みなさんに悲しいお知らせ。我らが同士、元事務局スタッフ、廣岡恵子さんが11月7日朝、亡くなりました。享年62。 98年3月に手術、術後12年も経っていた。そのうち4年間はみっちり再発治療に専念、事務局にも顔を出さなくなって、私たちは誰も彼女に4年間会えなかった。あとひと目会いたかった。これがなんとも残念で仕方がない。いつも笑いを絶やさない人で、今も目を閉じると彼女のやさしい笑顔が浮かんでくる。そして、明るい笑い声が事務局いっぱい流れて聞こえてくる。本当にいい人でした。

 クリスチャンだったので、みなでお茶の水のニコライ堂へお通夜に行きました。賛美歌の調べに乗って、船で黄泉の国に旅立つ彼女にお別れをしました。30年も会長をしてきて、会員との悲しい別れが一番辛い。(4ヶ月のご無沙汰分、さかのぼって書いていきます)