追悼・富樫副会長さん
富樫副会長の逝去に際し、先生がた他、みなさんから追悼の言葉をいただきました。

(敬称略・順不同)

中村清吾・昭和大学医学部乳腺外科教授
ワットさんへ
訃報に接し、乳がんを専門とする医師として、また無念な気持ちに包まれています。その一方で、富樫さんの満面の笑みと、お腹の底から出る力強い元気な声が、走馬灯のうに脳裏をよぎります。決して弱音を吐かず、いつも前向きで、周囲に優しい、とても気配りのある方でした。
心よりご冥福をお祈りいたします。

梅田一郎・ファイザー社長
ワット会長様
長年、患者さん、患者ご家族の方々、ケアギバーの方々の活動に多少ともかかわり、多くの素晴らしい方々との出会いを経験させていただいています。
その中でも富樫さんは特別な方でした。最初にお会いしたとき、この方が患者さんご自身かと思われるような明るさで、こちらの緊張感を一気にほぐしていただきました。その後、弊社のアポロで空手の演武に参加していただいていた頃にはもうすっかり全快されたのではと感じたりもしていました。
再発してもいつも明るさを失わず本当にご立派でしたが、昨日、お通夜の会場に、お写真とともに、文章(雑誌「アエラ」の記事)が紹介されており、あの笑顔の影で、病気との闘いがいかに厳しいものであったか改めて感じました。「よく頑張ったと思う」というご主人のお言葉が心に染みました。

箕輪良行・聖マリアンナ救急医学教授
ワットさん
「遺志をついで力強く」前を向いて頑張っていらっしゃる、ワットさんの、哀しさ、つらさ、悔しさ、不甲斐なさ、すべての不条理が胸を打ちます。
昨年10月、あけぼの会のパーティで妻と一緒に伺った折に富樫さんが明るく、賢く、律義に司会を務められていた姿を思い出して、何もできない私の力無さが、あたかも肉親を失ったように感じています。
 まだとてもそんな余裕はないでしょうが、あけぼの会として、「偲ぶ会」のような企画を御勘案でしたら、私個人或いはCST関係者(医師などのスタッフ)として協力させてください。

埼玉医科大学国際医療センター腫瘍内科  
佐々木康綱教授・秘書・佐々木久子

あけぼの会会長 ワット隆子様
富樫美佐子様の訃報に触れ、大変悲しくこみ上げるものがあります。本当に残念です。ご家族始め、あけぼの会のみなさまも、お力落としのことと存じます。謹んでお悔やみ申し上げます。
埼玉まで富樫さんにお越しいただいたのは3年間でしたでしょうか。
講義の前に二人でご一緒に食事をし、おしゃべりをし、学生講義を拝聴させてもらいました。遠方より毎年学生講義においでいただき、深く感謝いたしております。思い出すと涙があふれますが、頑張り屋の富樫さんのお別れにお花をお送りしたいと存じます。

佐治重衡・埼玉医大国際医療センター臨床腫瘍科准教授
ワットさん
ご連絡ありがとうございました。もう大学で若い学生相手に、迫力ある講義をしていただけないと思うと、とても残念です。お悔やみ申しあげます。
佐々木先生にもお伝えいたします。

安井禮子・医療ジャーナリスト
Watt様
富樫さんのこと、本当に残念です。でも、一途に、健気に、そして美しく、生き切られたのだと思います。あけぼの会での活躍は、Wattさんや会のみなさまの支えとなると同時に、富樫さん自身の人生をも大きく豊かなものにしてくれたと思います。
なにより、富樫さんはあけぼの会が大好きで、Wattさんの心遣いの一つ一つがうれしいひとでした。そんな彼女にとって、聖路加でのパーティは、まさに人生の最後を飾る花道となりました。Wattさんの見事な采配に敬意を表しつつ、心身のお疲れお察しします。
このようなときに型通りの言葉しか浮かびませんが、どうぞお力落としが過ぎませんように、体調を大事にしてくださるように、願うばかりです。

大井賢一・がんサポートコミュニティー事務局長
ワット隆子 様
この度の富樫さんには、急逝あそばされたとの報に接し、まことに心痛にたえません。あけぼの会内ご一同様のご無念を深くお察しし、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
今年2月26日に順天堂医院において、シンポジウムをご一緒させていただいたのが、私の記憶に残る最後となってしまいました。その後はホームページの富樫さんのメッセージのみでしか状況を伺い知ることができず、今日までの富樫さんの様々な活躍を思いますと、ワットさんのお気持ちを察するに、私たちが竹中先生を失った以上のものと拝察申し上げます。大きな穴がポッカリ空いた状態と思うと本当に残念でなりません。

相良正子・相良病院理事長
ワット隆子さま
今日、富樫さんの訃報に接しました。遠くにいる私でさえも、ついにこの時がきたという思いで一杯です。
どなたよりもワットさんにおかれましては、覚悟なさっていらしたこととは言え、さぞや気落ちなさったことと拝察いたします。本当に残念でしたが、今は壮絶な闘いから解放された富樫さんの安らかなご冥福をお祈りいたします。

喜島智香子・ファイザーPatient Relation 担当
ワットさん
富樫さんの存在の大きさや富樫さんの人柄に多くの方が勇気付けられ、励まされ、なごみ、本当に心優しい素晴らしい方でした。あけぼの会でも、大きな存在だったことは言うまでもないことですが、ヘルスケア関連団体ネットワーキングの会(VHO-net)においても、重要な役割を担っていただいておりました。
これまでの、素晴らしい活動に、心から敬意を表すとともに、いままで富樫さんが頑張って取り組んでいたことの少しでもお手伝いできればと思っています。

吉野謙一 マッキャンヘルスケア
ワット隆子様
富樫さんとは、2005年にワットさんと一緒に作成させていただいたDVDの時から、いろいろお世話になりました。数年前にワットさんからあけぼの会の忘年会に誘っていただいて1次会が終わって2次会への移動前に、人もほとんどいなくなったその場所で、富樫さんは泣かれていました。
確か翌年が30周年で、自分がやらなければならないという重圧と責任感とそれまでのいろいろな想いがこみ上げて、泣かれていたように記憶しております。感情豊かで熱い方でした。富樫さんは無理をおしていらしたのでしょうが、3月1日に渋谷でワットさん、福沢さんたちと一緒に食事ができてよかったと思っております。落ち着かれましたら、ご連絡ください。
富樫さんにももう一度御礼を申し上げたく思います。

福沢 誠・真和マーケッティングソリューション
ワットさん
私の中の富樫さんはいつでも元気です。明るいです。明るく生きること、元気に話すことの大切さを、ご本人はそのつもりはなかったかもしれませんが、私は富樫さんからかなり教えてもらったつもりです。
このあいだ一緒にお食事できてよかったです。でも、やっぱり寂しいです。

日高伸二・中外製薬
ワット会長
富樫さん、逝ってしまわれたのですね・・・もう、あの元気な富樫さんを見ることができないと思うと非常に残念でなりません。お悔やみ申し上げます。ワットさんの右腕を失った悲しみは我々の想像以上だと思います。でも富樫さん、がんばったんですもんね。拍手を送りたいと思います。お通夜は大勢のかたが来られていましたね。l

山口 岳裕・中外製薬
ワットさん
本当に盛大なお通夜でしたね。 まさに富樫さんの人望だと、私も思いました。祭壇に飾られた富樫さんの笑顔の遺影と、出口にあった数々のお写真を見たら、涙が出ました。弔電にも書いたのですが、我々も 乳がん治療に携わる人間の一人として、彼女の乳がんに立ち向かう姿と、あの笑顔は決して忘れてはいけないと強く思いました。
富樫さんがもっと続けたかったあけぼの会の活動は、我々も引き続き 支援していきます。

加藤完二・アストラゼネカ
ワットさん
はじめて、親しい人がこの病気で去って行きました。私なりにかなりショックです。ワットさんのいうようにこの病気の怖さに少しふれたような気がします。偲ぶ会 是非ご連絡ください。

 
平井祥文・グラクソスミスクライン
ワット会長
本当に残念です。富樫さんの笑顔が忘れられません。いつも助けて頂いていました。元気も一杯頂きました。御冥福をお祈り致します。

(株)アイワード 久保典夫&河崎美代
ワットさん
何と言っていいかわかりませんが、非常に残念です。お悔やみ申し上げます。(久保)           
訃報に際しましてお悔み申し上げますとともに、富樫さんのご冥福をお祈りいたします(河崎)

加藤芳男・テクノアソシエーツ
ワット隆子様
富樫さんが逝かれたことをお聞きし、慌てて、あけぼの会のホームページを開き、ワットさんの弔文を拝見しました。退院されたとお聞きし、小康状態を得られたのかとホットしておりましたが、病状は更に進んでおられたのですね。ご冥福をお祈り申し上げるとともに衷心より悔やみ申し上げます。
富樫さんは、あけぼの会にとって、またワットさんにとっても大きな存在であったことは、何度か事務所でお会いしただけでしたが、よくわかりました。大変お寂しくなられるかとは存じますが、富樫さんの思いをつなぐためにも、ぜひ、これからも患者の皆さんと歩まれていかれることをお願い申し上げます。

告別式でこの電報が読み上げられました!      
田中由喜子・長崎支部長

「奥様の悲報に接し心からお悔やみ申し上げます。ワット会長の大きな支えとなり、自らの病と正面から向き合い 我々乳がん患者に闘病の向き合い方をお示しくださいました。心より御礼申し上げ ご冥福をお祈りいたします。」
(今日6/23, ニュースレターが届きました。偶然仕事が休みで家にいて受け取ってすぐに、在りし日の富樫さんにお会いし,涙しながらお別れしました。合掌)

竹本冨美(香港・会員)
ワットさん
こんな日が来ると頭の中では分かっていたのですが、やっぱり辛いです。本当に最後まで頑張りましたよね。あんなに帰りたがっていた自宅でご家族と一緒に過ごすことが出来て良かったです。
出来ればもっと長く・・・・丁度2ヶ月前、帰国して、「富樫さんを励ます会」でまだ元気な笑顔に出会えて良かったです。ワットさん、有難うございました。富樫さんのご冥福をお祈り致します。

橋本順子・元兵庫支部長
ワット 会長さま
とても残念です。あのひまわりのような笑顔がもう会えないのですね。でも最後の最後まで良く頑張りましたね。55年の人生でしたが、一生懸命精一杯いきぬきました。 ありがとう富樫さん。涙がとまりません。
私も覚悟はしていたものの、ポカンとアナが空いたような気持ちです。会長さんはなおさらの事と思います。ホ-ムペ-ジを拝見しました。お葬式に行けなくて残念でしたが、会長さんの実況中継のようなメ-ルを読んで本当に目にいろいろ浮かんできました。
人間は最期にその人の真価が出ると言われますが、富樫さんらしい最期で皆さんに惜しまれながら送られる賑やかなお葬式でよかった~ ご冥福をお祈りいたします。

 
有本幸代・あけぼの兵庫
会長さん                      
とうとうその時がきました。いつかは来ると思っていましたが、いざその時が来たら虚脱感でいっぱいですが、これが現実なのだと思っています・・・今は、富樫美佐子様のご冥福をお祈りするばかりです。お通夜にも告別式にも参列出来ず心残りがあります。会長さんのメール、ホームページを読ませていただき、目に浮かぶように想像できました。分かってはいましたが、本当に富樫さんは人望が厚かったのですね。
参列者が多いのが物語っています。二回転するほど参列者があったのは聞いたことがありません。益々富樫さんの偉大さを痛感しております。
(あの~、富樫さんのことを思う存分語り合う集まりをしたいです。私の知らない富樫さんのことをいっぱい聞かせてほしいです。・・・と思ってしまいました・・・)

橋渡智美・あけぼの岐阜
会長、本部のスタッフのみなさん、
お疲れ様でした。お通夜・お葬式に参列できなくて、すみませんでした。ワット会長さんと富樫さんと二人三脚で歩んだあけぼの会、会の仕事をしたいと言っていた、富樫さんがいなくなったとは本当に今もって、弔電を送ったにもかかわらず、信じられません。
最後まで、一緒だった会長さんも大変だったけれども、富樫さんは、満足して、喜んで天国に旅立ったと思います。会長さんは、人一倍優しくて、愛情を注いでくれる人柄だからこそ、富樫さんもその愛情をいっぱい受けて逝ったことでしょう。

友森一美・鳥取支部長
会長さん
とても残念です。 いつも頼りにしていました。たくさんお世話になりました。感謝しています。本当に有難うございました。最後までしっかりと生きられた富樫さんを、お手本にしていきたいと思います。(6月19日(日)はイベントがあり、お別れに行くことが出来ません。遠く米子よりお別れをしています)

木村智子・福島支部長
ワット会長
通夜、告別式とご苦労さまでした。弔辞をご用意されたのに読む機会がなかったようで残念でしたね。でもあつい想いは届いたとおもいます。これから寂しくなりますが、みんなで力を合わせてがんばってまいりましょう。何か手伝えることがあればお知らせください。

小野節子・三重支部長
ワット会長
とうとう来る日がきてしまった。もう今、感謝の言葉を述べても届かない。彼女は、絶対、天国に行っても、あけぼの会で、働いたことを誇りに思ってくれていると思います。だから会長元気を出してください。

清水有子・元長野支部長
ワットさん
自宅に帰り2週間何の手当てもせず本当に頑張りました。ご家族に囲まれお孫さんともひとときをご一緒出来彼女は本望だと思います。ご自分の意思を通し立派でした。今回はワットさんの一声であけぼの会の団結を見せたあけぼの会です。ワットさんが元気でいる限りあけぼの会は健全です。気を落とさずにこれからのあけぼの会を宜しくお願いします。

吉岡敏子・あけぼの奈良
ワット会長 様
辛い、悲しい、残念、無念です。お通夜や告別式の様子をHPで読ませていただきました。たくさんの方に惜しまれて送っていただかれたのですね。会長さんにもこんなにも大切にされて、ほんとうに富樫さんはお幸せな方です。
富樫さんにはもう会えませんが私達の心の中におられます。会長さんもいろいろお気遣いされてお疲れのことと思います。ご無理をされませんように。

深野百合子・あけぼの福岡
ワット会長さま
富樫副会長さんが逝ってしまわれたのですね。もっともっと生きたかったことでしょうね。でも、よく頑張られましたね。会長さんが言われるように、本当に彼女の頑張り、「見事な最後だった」ことを、心から讃えます。まだ実感が湧きませんが、逝かれたと聞いて、急に寂しくなりました。

陶山かずみ・愛媛支部長
あけぼの会会長 ワット隆子様
富樫様の訃報、お知らせいただきましてありがとうございました。私は小心物でパソコンを開けるのが恐くってやっと今朝開けました。遅ればせながらご家族に弔電を送らせていただきました。富樫様がご自宅に帰られてから、四国大会の事、娘と東京に行った東京マンモ大会のことなどずっと思い出して涙しておりました。会長さん、大丈夫?会長さんのこと心配しています。

  
栗原みどり・栃木支部長
会長さん
とうとうお別れの時が来てしまったのですか・・・。ずっとずっとがんばって来られた富樫さん。
痛みから解放されて、安らかに永眠されたのですね。すごくすごく悲しいです。2001年の秋、富樫さんと同時期に再発して以来、共に泣いたり笑ったり・・・こんな私が支部長をやって来られたのも、困った時、富樫さんに相談すると、「会長さんだったら、きっとこう言うと思うわよ。きっとこうすると思うわよ。」とアドバイスをくださったからです。いつもあけぼの会のために 一生懸命だった富樫さんのお姿が目に焼き付いています。

星野希代絵・あけぼの静岡
ワット隆子様
とうとうこんな日が来てしまったのですね。ここ数日パソコンを開けるのが怖くてしかたなかったです。あの素敵な(お別れの会)の笑顔が忘れられません。決して忘れません。

菊井津多子・あけぼの滋賀
ワット会長様へ
富樫さんの笑顔、がんばり、心に刻みます。昨年、秋の大会後のパーティで、緑色のブラウスで楽しそうに踊っていらした光景が思い浮かびます。心から御冥福をお祈りいたします。

  
宇田川光子(あけぼのハウススタッフ)
ワット隆子様
淋しくなりますね。会長さんのお気持ちをお聞きしていたので、葬儀に参列されたのは、さぞ、お辛かったのではなかったかな、と思いました。いつも会長さんに寄り添い、会長さんの見方だった富樫さんがいないのが、まだ、信じられません。会長さんもお体に気を付けてください

前田紀子(東京都会員)
ワット会長
富樫副会長さんのご葬儀、お世話様になりました。榎さんと富樫さんを偲ぶお話、私たち病状の話などを榎さんとして帰路につきました。会長さんの心がぽっかり空いてしまうのが一会員として心配でしたが今日のメールを力強く拝見しました。

岸 弘子・元あけぼのヤング代表
会長さん
最後の最後まで頑張ったのですね。本当に立派です。富樫さんを大きな愛と優しさでずっと支えてきた会長さんもすごいです。お身体気を付けてください。

三浦 若菜(東京都会員)
会長さん
あけぼの会のHPに掲載された会長さまのエッセイを拝読し、富樫さんを思いだし、また悲しくなってしまいました。でも、それではいけませんね。会長さまのおっしゃるように「生きている人は生きていかなければならない」。前向きに、自分にできる事をして、できれば富樫さんのようにあたたかい素敵な笑顔を忘れずに生きていきたいと改めて思っております。

島崎亮子・事務局スタッフ 
ワット会長さん
お疲れさまでした。富樫さんの再発がわかった昨年から、会長さんは心休まる日が無かったのでは…やさしくて、能力ある富樫さんのことは神様もほっとけなくて、天国にヘッドハンティングしたのでしょう!喪失感にとらわれてます。

竹内篤子・事務局スタッフ
ワット会長さま
これから きっと疲れと共に寂しさを実感する日々が続くと思います。私も初めて富樫さんの紀伊国屋ホール(新宿)でのお話を聞いたとき、こんなにイキイキと治療に取り組んでいる人が居るんだと感動しました。富樫さんの代わりはできないですが、富樫さんに笑われないように
事務局の仕事をやっていきたいと思います。

鈴木節子・事務局スタッフ
ワット会長殿
HPのエッセー拝読いたしました。あけぼの秋の大会で初めて富樫さんとお会いしたときの、とても元気で前向きな姿は決して忘れないです。性格も素敵だったしお力も十分にあったのに…
覚悟はしていたものの、お別れはぽっかりと穴が開いたように寂しい気持ちです。

中西加代子(神奈川会員)
ワット会長さん
HPでのワット会長さんからのお知らせは余りにも悲しすぎました。が、書いて知らせなくてならないワットさんのお気持ちを思うとたまらないです。この病気になった時点から其れなりの覚悟は出来ているとはいえ、普段は元気で病気の事など忘れて皆が頑張っているのに・・・
それなのに時々厳しい現実を叩き付けられてしまう、ホントに悔しいです
特に富樫さんは私達のあけぼの会の為に真剣に頑張って下さって、ワット会長さんの手足となって頑張って下さった、無くてはならない人でした。 昨年の秋の大会では最後に壇上の上から元気にガンバリま~す、とお花を胸に話されていたのが昨日の事のように思い出されます。
毎年の秋の大会では、富樫さんと毎回会う約束をしていて、会場で会っては、又来年また会いましょうねと会場を後にしていました。それが、今年は会う事が出来ないなんて信じられないです

新川恵三(故新川由利子ご主人。静岡県会員)
会長さん
富樫さんには本当に力づけていただきました。その恩も返せぬうちに。お家で2週間、本当に頑張られましたね。彼女の力強い満面の笑みがもう見られないかと思うと寂しくてたまりません。
「富樫さんありがとう。貴女の笑顔、僕は忘れません。何時か僕がそちらに行ったときには由利さんと仲間の皆さんと迎えてください。ほんとうにありがとうございました」

金岡 益代・愛知支部長
ワット会長さんへ
富樫さん逝去の連絡ありがとうございます。いつかはとは思っていましたが、それが現実となると・・・。今日は富樫さんの事を思い、静かに過ごします。合掌

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